愛媛県大洲市 大恩寺/新谷藩加藤家墓所

大恩寺は大洲市新谷にある臨済宗の寺院で、
新谷藩初代藩主加藤直泰の開基です。
直泰の正室専称院が葬られており、
後に3~5代の墓所となりました。


大恩寺」。
妻入造山門は閉ざされていますが、
脇扉を開けて入れます。


本堂」。
境内はちょっと荒れた感じ。
人の気配が無いので無住のお寺?

加藤家墓所は本堂の裏手を登った場所。

専稱院殿心應念大姉淑霊」。
初代藩主加藤直泰の正室専称院の墓。
小出吉親の三女で直泰の正室でしたが、
直泰との間に子は生まれておらず、
大洲藩の嫡子加藤泰義の長男を養子とし、
後に2代加藤泰觚となっています。


従五位下加藤大藏少輔藤原泰貫之墓」。
3代藩主加藤泰貫の墓。
2代泰觚の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
呉服橋門日比谷橋門番を務め、
後に駿府加番にも任命されていますが、
江戸藩邸が2度も類焼しており、
これが大きな財政負担となっています
11年の治世の後に隠居。
その翌年に新谷に移りますが、
同年に死去しました。


従五位下加藤山城守藤原泰廣之墓」。
4代藩主加藤泰広の墓。
大洲藩3代加藤泰恒の七男に生まれ、
3代泰貫の養嫡子にとなり、
養父の隠居に伴い家督を相続しました。
朱子学者多田儀八郎を招くなど、
藩士子弟への学問を推奨。
29年の治世の後に隠居し、
新谷で26年の余生を過ごしています。


従五位下加藤近江守藤原泰官之墓」。
5代藩主加藤泰宦の墓。
4代泰廣の長男として生まれました。
父泰廣の隠居に伴い家督を相続。
駿府加番に任命された他、
江戸城の諸門番を5度も務めています。
45年の治世の後に新谷で死去。
絵に優れた人物だったという。

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