新谷藩7代藩主加藤泰儔の墓所は、
新谷小学校(新谷陣屋跡)裏手の楓山。
新谷小学校の東脇の道を進むと、
大久保川に鉄板橋が架けられており、
渡った先に説明板が設置されています。
山道を少し登ると墓所に到着
「従五位下加藤誠翁
前山城守藤原泰儔墓(右)」、
「加藤治子之墓(左)」。
7代藩主加藤泰儔と正室治子の墓。
6代加藤泰賢の長子として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
先代の頃に財政が破綻した為、
大洲藩の管理下に置かれており、
その年限が明けても倹約を命じ、
税制も検見取から定免制に移行。
御用銀も各村に課しています。
21年の治世の後に隠居。
剃髪して誠翁と称して余生を過ごし、
維新後の明治4年に死去しました。
新谷藩加藤家で領内に墓所があるのは、
初代及び3~7代で、
他は東京台東区の海禅寺とのことですが、
既に整理されており墓碑は無いようです。
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