法眼寺は新谷藩初代藩主加藤直泰が、
実母の菩提を弔う為に創建されました。
「法眼寺」。
法眼寺は大洲の法眼院の末寺として、
※直泰の実母である法眼院は、
大洲藩2代加藤泰興の母でもあります。
新谷藩加藤家の庇護を受けて隆盛。
初代と6代の墓所も建てられました。
法眼寺の墓地は本堂裏手。
山の斜面に墓が並んでいますが、
何故か殆どの墓碑が南側を向いており、
麓を背にして建っています。… 続きを読む
愛媛県大洲市 法眼寺/新谷藩加藤家墓所
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法眼寺は新谷藩初代藩主加藤直泰が、
実母の菩提を弔う為に創建されました。
「法眼寺」。
法眼寺は大洲の法眼院の末寺として、
※直泰の実母である法眼院は、
大洲藩2代加藤泰興の母でもあります。
新谷藩加藤家の庇護を受けて隆盛。
初代と6代の墓所も建てられました。
法眼寺の墓地は本堂裏手。
山の斜面に墓が並んでいますが、
何故か殆どの墓碑が南側を向いており、
麓を背にして建っています。… 続きを読む
水口城は3代将軍徳川家光の上洛の際、
その宿所として築城されますが、
本来の目的を果たしたのは1度きりでした。
水口城には城番が置かれ、
幕府直轄の城となっていましたが、
加藤明友が吉永藩より加増転封となり、
水口領および水口城が与えられています。
「水口城跡」。
現在の水口城跡は… 続きを読む
新谷藩は大洲藩の支藩で、
大洲藩2代加藤泰興の弟加藤直泰が、
1万石を分知されて成立した藩です。
大洲藩初代加藤貞泰が世嗣を定めず死去し、
幕命により長男泰興が後継とされましたが、
次男の直泰はこれを不服として対立。
幕府の仲裁で泰興より1万石が分知され、
新谷藩が立藩する事となりました。
「… 続きを読む
八幡浜市の出張を終えての帰路、
もう一度大洲市へ。
藩庁と藩主家の墓を網羅したいので、
今度は藩主家も訪問しようと、
勇んで再び大洲市へ。
またいろは丸購入の不手際で非難され、
自刃した国嶋六左衛門の墓も参りたいと、
まずは寿永寺へ向かいました。
「壽永寺」。… 続きを読む
出張で八幡浜市に宿泊しておりまして、
隣の大洲市にある大洲城に行ってみました。
17時に仕事が終わったのですが、
カーナビの所要時間は30分ということで、
暗くならないうちに行けるだろうと、
車を飛ばします(勿論安全運転で・・)。
八幡浜から大洲に行くには、
大変長い[夜昼トンネル]を通ります。
夜昼というの名の由来は、
トンネルが出来る前の街道夜昼峠から。… 続きを読む