八幡浜市の出張を終えての帰路、
もう一度大洲市へ。
藩庁と藩主家の墓を網羅したいので、
今度は藩主家も訪問しようと、
勇んで再び大洲市へ。
またいろは丸購入の不手際で非難され、
自刃した国嶋六左衛門の墓も参りたいと、
まずは寿永寺へ向かいました。
「壽永寺」。
国嶋六左衛門の自刃は、
坂本龍馬のダークな一面として、
その英雄的ヒーローに陰を落とします。
彼の遺骸は石灰で腐敗処理が施され、
いろは丸で大洲に持ち帰られたようで、
この寿永寺の墓地に埋葬されました。
慶応2年6月。
國嶋は長崎へ鉄砲の買い付けに行きますが、
そこで龍馬や五代才介と知り合います。
国嶋は五代や龍馬の薦めにより、
蒸気船いろは丸を独断で購入。
鉄砲より蒸気船を買って貿易で儲ける方が、
大洲藩の為になるという理由でした。
しかし国嶋は突然謎の自刃を遂げます。
諸説ある中で最も知られるのが、
龍馬らに騙されたという説。
蒸気船を購入しても運用が困難であり、
海援隊の助けが無ければ航行は不可能。
この事を知って騙されたと気付き、
國嶋は自刃したという。
五代と龍馬は凶事を聞いて駆けつけますが、
龍馬は国嶋の亡骸に対して、
心ない言葉を発したとされています。
後に蒸気船は大洲藩より貸し出され、
海援隊によって運営されるに至り、
後に鞆の浦で沈みました。
龍馬は始めから騙すつもりで話を持ちかけ、
運用する船を手に入れたのだという。
また購入に非難の声があったともされ、
それを苦に自刃したともいわれます。
龍馬の話の信憑性については、
もう少し調べる必要がありますが、
当時の海援隊の状況からすれば、
ありえない話ではありません。
結果的に蒸気船の購入に関しては、
大洲藩が海援隊に買ってやったようなもの。
自殺するとは思わなかったでしょうが、
部下を食わしていかなければなりませんし、
利用しようとする気持ちはあったはず。
どちらにせよ後味の良い話ではありません。
最低でも龍馬の薦めで購入したのは、
間違いないのですから。
その国嶋六左衛門の墓がある筈なのですが、
結局のところ見つかりませんでした。
住職さんが外出するところを呼び止め、
場所を教えてもらうと山の上の方だとの事。
「時間があれば一緒に行くのですが、
出かけねばならない」と謝られ、
恐縮しながら自分で探しますと別れ、
山に登ったはいいが全く見つからない。
1時間近く山を散策しましたが、
泥だらけになるも見つからす。
時間も無かったので断念してしまいました。
残念な気持ちのまま寿永寺出て、
藩主墓所のある曹渓禅院へ。
「曹渓禅院」。
曹渓院は初代藩主加藤貞泰が、
父加藤光泰の菩提を弔う為に、
当時の所領美濃国黒野に創建した寺院。
大洲移封に伴い現地に移っています。
ここに初代藩主加藤貞泰の他、
6代加藤泰衑、8代加藤泰武、
10代加藤泰済、11代加藤泰幹、
そして13代加藤泰秋の霊廟があります。
・・が、ここも行けず仕舞。
藩主墓所の墓域の門は閉ざされており、
お寺の方に開けてもらうらしい。
時間を取られてしまったので時間が無い。
開けてもらったはいいが、
写真撮ってすぐサヨナラでは、
大変失礼なのでここも断念。
連続で訪問失敗となってしまいました。
お墓にたどり着けなかったのは今回が初。
僕はしつこい性格なので、
見つかるまで探すのが常ですが、
時間の関係で断念せざるを得ませんでした。
史跡訪問も長く続ければ、
こんなこともあるのでしょうね。
次に大洲に来る事ができるのは、
いつの事だろう・・。
■関連記事■
・愛媛県大洲市 大洲城
大洲藩加藤家の居城。
・広島県福山市 鞆の浦①/②/③/④
いろは丸は明光丸と衝突しました。
・愛媛県大洲市 新谷陣屋跡
大洲藩の支藩新谷藩の陣屋跡。
寿永寺住職です。
お参りありがとうございました。
わざわざお越しいただいたのに案内できず申し訳ありませんでした…次回は案内させていただきます。お待ちしております!
>寿永寺住職様
いえ、お忙しいところを呼び止めてしまい申し訳ありません。
今度、大洲に行った際は、是非とも宜しくお願いいたします。