対潮楼は小高い丘の上にありましたが、
そこから南にもう1つ小高い丘があります。
昔は島で今は陸続きのその場所は、
大可島城という水軍の城があった場所で、
現在は円福寺という寺が建っています。
この丘は[崖の上のポニョ]の、
宗介とリサの家のモデルにもなりました。
「円福寺」。
ここはいろは丸沈没事件の際、
紀州藩側の宿泊所となりました。
朝鮮通信使も同様に宿泊しています。
「旧魚屋萬蔵宅」。
最初の交渉が行われたとされる場所。
ここでの交渉後に対潮楼で交渉が行われ、
現在は御舟宿いろはとして営業しています。
鞆の浦の町並みは情緒があります。
どこも絵になりますね。
「桝屋清右衛門宅」。
鞆の浦で龍馬が宿泊していた場所。
いろは丸には積荷の仕切役として、
小曾根英四郎が乗っていました。
※長崎の豪商小曾根家の末弟。
小曾根家と桝屋は商取引があったとされ、
英四郎の仲立ちで宿所となったようです。
中は一般公開されており、
龍馬が泊まった隠し部屋にも入れます。
ここは番頭さんがいた場所。
暗殺を避ける為に隠し部屋が用意され、
4日間龍馬が寝泊りしています。
現在は階段で入れますが、
当時はハシゴで行き来していたという。
[坂本龍馬は屋根裏部屋に泊った]
という家伝が伝わりながら、
どこに泊まったか不明だったようですが、
平成元年に詳しく調査したところ、
隠し部屋が当時のまま発見され、
補修などが行われたようです。
■関連記事■
・愛媛県大洲市 寿永寺と曹渓禅院
いろは丸は大洲藩より貸出されたもの 。
・和歌山県和歌山市 和歌山城
明光丸は紀州藩船籍のもの。
・下関市中之町 引接寺/伊藤家 入江家墓所
朝鮮通信使は下関でも宿泊しました。