広島県福山市 鞆の浦②

/②//

前回の対潮楼は小高い丘の上にありましたが、そこからすぐ南にもう1つ小高い丘があり、
昔は島で今は陸続きのその場所は、昔大可島城という村上水軍の城があった場所で、
今は「円福寺」という寺が建っています。
この丘は「崖の上のポニョ」の宗介とリサの家のモデルにもなりました。


円福寺」。
ここは「いろは丸沈没事件」の際、紀州藩側の宿泊先となりました。
朝鮮通信使も対潮楼と同様に宿泊しています。


龍馬と紀州藩が、いろは丸の賠償交渉をした「旧魚屋萬蔵宅」。
ここではじめての交渉をした後、前回の対潮楼で交渉しました。
現在は「御舟宿いろは」という旅館として営業されています。
脇には「いろは丸事件談判跡」の石碑も・・。


鞆の浦の町並みは情緒がありますね。どこも絵になります。


鞆の浦で龍馬が宿泊していたのは「桝屋清右衛門宅」。
いろは丸には、積荷の仕切り役として、
長崎の豪商小曾根家の末弟小曾根英四郎が乗っていました。
小曾根家と桝屋は商取引があったと思われ、
英四郎の仲立ちで桝屋を宿舎に定めたと考えられています。


中は一般公開されており、龍馬が宿泊したとされる隠し部屋にも行く事ができます。
ここは番頭さんがいた場所でしょうかね?


宿泊中は暗殺を恐れ、隠し部屋が用意されました。
ここに4日間龍馬が寝泊りしています。
今は階段で行けますが、当時はハシゴを使って行き来していたようです。
坂本龍馬は屋根裏部屋に泊った」という伝承が伝わりながら、
長い間、どこに泊まったかわからなかったそうですが、
平成元年に調査したところ、隠し部屋が当時のまま残されていたのが発見されました。
その後、傷や痛みなどを整備しています。

次回に続く。
/②//

■関連記事■
愛媛県大洲市 寿永寺と曹渓禅院
 いろは丸は大洲藩より海援隊に貸出されたもの 。
和歌山県和歌山市 和歌山城
 いろは丸と衝突した明光丸は紀州藩船籍のもの。
下関市中之町 引接寺~伊藤家・入江家墓所
 朝鮮通信使は下関でも宿泊しました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。