小塚原回向院境内は鉄道の敷設で分断され、
分断された回向院の南側境内は独立し、
現在は延命寺というお寺になっています。
そして回向院にあった首切り地蔵は、
この延命寺の方が引き取りました。
「延命寺」。
JR常磐線と東京メトロ日比谷線間、
2線の間の細長い敷地に建っています。
刑場はこの延命寺の南側のだったという。
刑死体は申し訳程度に土を被せるのみで、
夏になると周囲に臭気が充満し、
野犬やイタチが食い散らかして、
地獄のような有様だったという・・・。
・・と、語られていますが、
果たしてこれはいつの事なのでしょう?
小塚原回向院が造られてからは、
刑死体は火葬されていたようです。
上記のような状態が続いたとなると、
江戸の町に伝染病が流行る可能性が高く、
幕府もそのような愚策を犯さないでしょう。
「首切り地蔵(延命地蔵)」。
訪問時はちょうど逆光だった為、
写した中でこれが一番まともでした。
※カメラがボロくて逆光に弱い。
思っていたより大きいお地蔵様。
首切り地蔵は結構全国的にあるようですが、
主に2種類のパターンがあります。
ひとつは罪人を供養する為のもの。
もうひとつは文字通り首を斬られた地蔵。
全く正反対のものなのですが、
同じ呼称で呼ばれています。
子供の守護神として知られるお地蔵様ですが、
元々は地獄における責めの苦しみから、
罪人を救済してくれる存在としての仏で、
刑場の仏像としてはうってつけでした。
縄が打たれている罪人達は、
手を合わせる事もかなわなかったでしょうが、
執行前にチラッと地蔵が見えたならば、
少しは心安まったのではないでしょうか?
そう考えれば大きさも合点がいきます。
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