水戸藩の藩校弘道館、
岡山藩の藩校閑谷黌と並び、
三大学府と称された長州藩の藩校明倫館。
出身者も吉田松陰、桂小五郎、高杉晋作等、
蒼々たる顔触れです。
維新後は明倫小学校として使用され、
最近まで小学生達が学んでいました。
校舎は日本最大の木造校舎として保存され、
萩・明倫学舎として整備されています。
「萩・明倫学舎本館」。
明倫館の跡地に昭和10年に建築。
木造2階建の小学校舎でした。
現在は文化庁の登録有形文化財となっており、
フランス瓦や連続する窓の意匠が特徴的で、
当時としてはモダンな建物。
「明倫館碑」。
左は6代毛利宗広による由来を伝える碑。
右は12代毛利敬親による新舎完成を記念碑。
碑文の幕府に対する忠心を意味する箇所が、
藩士らに削られた跡があります。
「南門」。
明倫館の正門で歴代藩主が聖廟を拝する際や、
公式行事以外は開かれなかったそうです。
維新後は本願寺山口別院に移されており、
その正門となっていましたが、
後に寄付されて元の位置に移築されました。
「萩・明倫学舎」の本館は、
観光インフォメーションセンターや、
復元教室となっており、
無料で見学する事ができます。
※2号館は[世界遺産ビジターセンター]と、
[幕末ミュージアム]観覧料300円。
建屋内は昔の雰囲気が漂っています。
嫁さんは懐かしいと言っていましたが、
僕の母校はここまで古くは無かったなぁ。
懐かしいと思えて羨ましかったりします。
「水練池」。
校内にある水練池は藩校施設で唯一の現存。
遊泳術や水中騎馬が行われていたようです。
松陰や晋作も泳いだのでしょうか?
「有備館」。
校内東側にある武道場の有備館は、
剣術場と槍術場を移築拡張したもので、
内部の半分は板の間で剣術場、
もう半分は土間で槍術場、
各間の西側に藩主の上覧場があり、
中間に控室があります。
他国修業者引請剣槍術場でもあり、
坂本龍馬も試合をしたとされています。
この他に校舎は3~4号館があるのですが、
改装中で入場できませんでした。
4号館裏に松陰や村田清風の碑がありますが、
そこにも行けなくなっています。
萩・明倫学舎は中心部に位置していますので、
これから萩のランドマークになるでしょうね。
萩で行くべき場所のひとつと云えるでしょう。
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