三重県まで車で出張。
一晩泊まって帰る事になり姫路に宿泊。
朝10時に出発と決まったので、
それならばと朝早くから起きて、
周辺の史跡を一人で行ってきました。
6時に起きて林田陣屋に向かいます。
姫路市林田町周辺(林田陣屋の場所)
林田藩は建部家の支配する外様藩で、
江戸時代初期の尼崎からの転封以降、
250年余りの間林田周辺を治めました。
「林田藩校敬業館敷地跡」。
陣屋跡の南側に藩校跡があります。
敬業館は当時珍しい士庶共学の学校で、
士族は8歳で必ず入学していましたが、
他にも庶民の子も受け入れていました。
敬業館という校名は長府藩と同じですね。
「敬業館講堂」。
敬業館の遺構で唯一現存する建物。
敬業館敷地跡より奥に進み、
陣屋跡に向かいます。
「河野鐵兜先生碑」。
姫路市立林田中学校の正門前にある石碑。
河野鉄兜は当時有名な儒学者で、
熊本藩にも招かれていましたが、
故郷を領する林田藩への仕官を望んで、
敬業館の教授となった人物でした。
碑の右側の道を通って陣屋敷地内へ。
陣屋跡は聖ケ岡公園となっています。
「建部神社」。
林田藩祖建部政長を祀る神社。
二の丸東曲輪の跡地に建てられています。
「林田陣屋跡」。
建部神社より左に進むと、
林田陣屋跡の碑が見えてきます。
この場所が本丸のあった場所で、
現在は梅林となっているようですが、
梅の木があったのは気が付きませんでした。
奥の石碑は大東亜戦争の忠魂碑。
大庄屋の住宅が残されているということで、
行ってみることにしました。
「林田大庄屋旧三木家住宅」。
早朝なので閉まっていました。
訪問時は7時前・・残念。
幕末の林田藩は早くから勤皇に統一。
大政奉還後に新政府に恭順していますが、
姫路城攻撃に少数の兵を出した他、
華頂宮博経親王の警護を行った程度でした。
【林田藩】
藩庁:林田陣屋
藩主家:建部家
分類:1万石、外様大名
■関連記事■
・兵庫県尼崎市 尼崎城
建部家ははじめ尼崎を領していました。
・兵庫県たつの市 龍野城跡
隣藩の譜代脇坂家龍野藩の藩庁。
・兵庫県姫路市 姫路城
林田藩は姫路討伐に兵を出しています。
林田藩主建部家歴代の墓は、大徳寺芳春院のものは有名ですが、東京浅草の海禅寺にも合祀墓があります。
芳春院は、以前は年に一度アンディ・フグの命日に墓地に入ることができました。
今は不明です。
墓地一番奥に歴代の五輪塔が並んでいます。
海禅寺にも合祀墓があるのですね。
これは知りませんでした。
まだどちらも行った事がありませんが、
コロナ禍が終わったら東京に行きたいものです。
アンディ・フグの命日なら8月24日ですね。
芳春院はハードルが高そうですが、
いつか必ず行きたいです。
情報ありがとうございます。
いつも、林田藩の家老職だった北條家、長野家家門の一族墓の掃除をしています。
北條直正公は、明治新政府から初代加古郡長に任命され、今の加古川市、又稲美町で活躍された地域の恩人です!長野氏は元、林田藩の筆頭家老の家門で
北條家とも姻戚関係です!
コメントありがとうございます。
林田には記事のとおり早朝にお邪魔した以来。
まだ訪問してみたい場所もありますし、
写真も良いものではないので、
再度訪問したいと思っております。
北條直正という人物は存じ上げませんでしたが、
検索してみるとなかなかの人物ですね。
再訪の楽しみが増えました。
教えて頂いてありがとうございます。