岡田藩は伊東長実を祖とする外様藩。
長実は羽柴秀吉の黄母衣衆の一人で、
秀吉の死後に石田三成と敵対。
徳川家康に三成挙兵を知らせる功を挙げ、
関ヶ原の戦いの勝因のひとつとなります。
後の大坂の陣では豊臣方として参戦。
大坂城落城後に降伏していますが、
関ヶ原の戦いでの功績を鑑みられ、
僅かな厳封で大名として存続しました。
以後は江戸時代を通じて伊東家が、
岡田藩の藩主として続いています。
「倉敷市立岡田小学校」。
岡田陣屋跡は岡田小学校の敷地内。
訪問時は平日の午後。
おっさんが一人でうろつけないので、
娘と一緒に行こうとしたのですが、
いかないというので仕方なく一人で訪問。
校門付近で親御さんらしき人達が、
数人で立ち話をしていたので、
「岡田陣屋の碑とかありますか?」
と聞いてみると、
校門入った所にあると教えてくれました。
「岡田藩址」碑と、
「岡田藩邸長囲炉裏」跡。
校門入ってすぐ右側にあります。
岡田陣屋の遺構は殆ど残っていません。
長囲炉裏は別の場所にあったものを、
ここに移築したものとのこと。
校舎側に井戸も残されていたようですが、
入り辛かったので断念しました。
幕末の岡田藩の動向ですが、
さしあたって特筆するような事は無く、
鳥羽伏見の戦い後に恭順しており、
備中松山藩討伐などに出兵しています。
岡田藩が関わる事件など、
何かあればと探したのですが、
何も見つかりませんでした。
仕方が無いので横溝正史について。
横溝は肺結核に侵された為に、
徴兵されずに執筆活動を続けましたが、
昭和20年に岡田に疎開しています。
戦後に推理小説を勢力的に書き始め、
物語に登場する地名や店舗は、
岡田にあったものが多く使われました。
特に第1作の本陣殺人事件では、
川辺本陣を舞台としており、
物語に登場する場所の多くが、
実際にあったりします。
但し一字だけ伏字となっており、
たとえは清音駅は清―駅、
高梁川は高―川などと記され、
一応は隠されているとのこと。
ですが作中の地名や建物などの配置は、
実際の岡田そのもので
探偵金田一耕助がどこで聞き込みをし、
どこで事件が起こったかなど、
岡田を散策すると見えてくるようです。
また「獄門島」や「八ッ墓村」に、
登場する寺や祠もありました。
横溝ファンの聖地でもあるようです。
以上、幕末とは関係の無い話でした。
【岡田藩】
藩庁:岡田陣屋
藩主家:備中伊東家
分類:1万石、外様大名
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