年末は嫁さんの実家益田市で過ごします。
本来僕は長男ですので、
自分の実家で過ごすのが道理ですが、
嫁さんの実家には男兄弟がおらず、
正月は他の姉妹が帰って来ないので、
寂しい正月を迎えさせるのは忍びないと、
ウチの家族がお邪魔するわけです。
そんなわけで益田市に度々行くわけですが、
益田市は石州戦争の舞台となった場所で、
史跡も滞在中に少しずつ訪問しています。
島根県益田市 扇原関所跡
島根県益田市 万福寺・医光寺
島根県益田市 妙義寺~乃木三蔵之墓
どれも結構古い記事・・。
今回は全国に先駆けた牛痘の接種を、
最初期に実施した医者の顕彰碑を求め、
染羽天石勝神社に行ってみました。
「染羽天石勝神社」。
石州戦争の舞台医光寺や萬福寺に程近い、
七尾学園益田東高等学校の裏手。
「神楽殿」。
石見は神楽が盛んな土地で、
神社の多くには神楽殿があります。
とはいえこれは相当年季の入ったもので、
1586年建立という貴重な建築物。
「拝殿」及び「本殿」。
本殿は国指定重要文化財。
提灯に描かれているように神紋は「葵紋」。
染羽天石勝神社は御朱印地を持った神社で、
将軍家からの庇護を受けていたようです。
東側の注連岩を崇拝したのが起源で、
天石勝命を祭神とする瀧蔵権現として創建。
その後に別当寺として勝達寺が建立され、
領主であった益田氏の庇護を受けて発展し、
上記したように江戸時代には、
幕府の庇護を受けて隆盛しています。
明治の廃仏毀釈に伴い勝達寺は廃寺となり、
神社も名を染羽天石勝神社と改めました。
※勝達寺は福山藩兵の陣営となった場所。
そしてお目当ての医師米原恭庵の碑。
「米原恭庵頌徳碑」及び「種痘記念碑」。
境内社に至る石段の前に建てられています。
米原恭庵は17歳で江戸に遊学し、
西洋医学及び牛痘種法などを修学。
故郷高角村(現高津町)で痘瘡が流行した為、
私財を投じて地元民500余名に、
牛痘の接種を施しています。
モーニッケが初の牛痘接種を施して、
僅か2ヶ月後だったという。
現在の新薬開発は10年も掛かるとされ、
未だ治療法の無い病気は沢山あります。
その治療法を待ち焦がれる患者さんは、
数多くいる事でしょう。
勿論安全面ということもあるのでしょうが、
間に合わずに亡くなる人もいる筈です。
その為に新薬や治療法の普及には、
最速の早さで行って貰いたい。
そう考えると僅か2ヶ月で山陰の片田舎に、
牛痘接種を行ったのは驚異的。
電車もネットも無い江戸時代にです。
並の人物ではできない事でしょう。
もちろん技術的にもそうですが、
民に新しい治療法を試させることも、
そんなに簡単な事ではなかったはず。
この頌徳碑右側後方の長細い石碑は、
「種痘記念碑」との事で、
米原恭庵自らが自分の業績を称える為、
自費にて建立したという。
う~ん。なるほどね。
並の人物ではなかったというわけです(笑)。
※頌徳碑を建立したのは益田医師会。
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・福岡県朝倉市 長生寺
天然痘予防の先駆者緒方春朔の墓。