萩の乱で散った士族達を慰霊する碑が、
萩往還から萩市街に入る道筋にあります。
萩市椿大屋周辺(前原騒動慰霊碑の場所)
「前原騒動慰霊碑」。
南無妙法蓮華経とだけ刻まれており、
一見何の碑かわかりません。
前々から碑があるのは知っていましたが、
それが何の碑かは知りませんでした。
この辺が激戦地だったとされますが、
あまり資料がなくてよくわかりません。
地元の人々が建てた慰霊碑なので、
たまたまここに建てたのかも?
萩の乱は前原一誠らが起こしましたが、
西南戦争が後世に大々的に伝わるのに対し、
萩の乱の扱いはあまりにも小さいようです。
※もちろん規模は大幅に違います。
前原は高杉晋作が病で離脱した後、
小倉戦争の指揮を引き継いでしており、
戊辰戦争の北越戦争等にも従軍し、
維新後は兵部大輔となった軍事のプロ。
晋作や大村益次郎、山田顕義など、
軍略の天才にも接していますが、
反乱は即座に鎮圧されてしまっており、
なんとも残念と云わざるをえません。
実際に軍略的才能は無かったのでは?
吉田松陰は前原に対して、
晋作や久坂玄瑞に才能や見識は及ばず、
人間性、誠実さは勝ると評しています。
僕の個人的な前原の評価なのですが、
西郷隆盛と似たタイプだったのではないか?
優れた人間性に人は集まり、
その意思とは関係なく持ち上げられる。
これに対して本人は誠意で答えようとし、
結局は破滅へと向かわざるを得ない。
そんな結末は西郷や前原だけでなく、
歴史上数多くあった事ではないでしょうか?
■関連記事■
・山口県萩市 弘法寺/前原一誠墓所
萩の乱の首謀者前原一誠の墓所。
・島根県出雲市 前原一誠之碑
萩の乱幹部らが捕縛された地。