益田戦争」タグアーカイブ

島根県益田市 益田戦争戦死者の墓

慶応2年の第二次長州征伐幕府軍は、
大島口芸州口小倉口、そして石州口より、
長州藩の領内へ侵攻する事と決定します。
これに対する長州藩側の戦略としては、
他の戦線は防戦の方針を取りながら、
石州口では… 続きを読む

島根県益田市 萬福寺(再訪)

萬福寺平安時代の創建とされており、
安福寺と称した天台宗の寺院でしたが、
鎌倉時代に廃れていたものを、
遊行上人4世呑海が再興して道場としました。
その後に領主益田兼見が現在地に移築し、
萬福寺と改称しています。
※墓地には兼見の墓もあります。


「… 続きを読む

島根県益田市 益田宿跡

益田豪族益田氏の本拠として発展し、
江戸時代はその大半が浜田藩領でした。
益田氏は石見守護藤原国兼を祖とし、
はじめ浜田御神本を拠点とした為、
御神本氏を称していましたが、
4代兼高が益田に拠点を移し、
以後は益田氏を名乗り、
石見国西部に領地を広げます。

後に守護大名… 続きを読む

石州戦争(石州口の戦い)①

①/

第二次長州征伐幕府長州侵攻を決定。
芸州口大島口小倉口石州口から、
長州藩の領内へ侵攻する事とします。
これに対する長州藩側の戦略としては、
他の戦線は… 続きを読む

島根県益田市 妙義寺/乃木三蔵之墓

妙義寺長州藩本陣野戦病院が置かれ、
寺の墓所には長州藩士4人のお墓があります。


妙義寺」。
石見益田氏の菩提寺だったようで、
道路向かいに益田兼堯の銅像もあります。
三家老のひとり益田親施はその子孫。… 続きを読む