明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
「死をとして固守すること四句あまり
ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
あぁ、わがことすでに終る」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。
「辺見十郎太 … 続きを読む
鹿児島県伊佐市 辺見十郎太涙松跡記念碑
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明治10年6月20日。
大口の戦いに敗れた雷撃隊隊長辺見十郎太は、
敗走する際に池田の松並木で馬を止め、
高熊山を振り返り遠望しながら、
「死をとして固守すること四句あまり
ついに要害の地高熊山をクソ鎮に奪わる。
あぁ、わがことすでに終る」と、
松の木に持たれて無念の涙を流したという。
「辺見十郎太 … 続きを読む
明治10年6月。
水俣の政府軍が大口へ侵攻しますが、
辺見十郎太率いる雷撃隊は、
これを迎え撃つ為に坊主石山に布陣。
6月18日に激しい戦闘が行われたようで、
雷撃隊は6月20日に撤退しています。
山之口霊苑という小さな墓地に、
雷撃隊の戦死者合葬碑があります。
「西南の役薩軍無名兵士無縁者之霊碑」。
雷撃隊の撤退後の坊主石山には… 続きを読む
南洲墓地にある辺見十郎太の墓。
「邊見十郎太墓」。
三番大隊一番小隊長辺見十郎太の墓。
※肩書は西南戦争時のものとします。
城下士辺見仲直の長男で、
六尺(180㎝)の大柄な体格の持ち主で、
薬丸示現流の達人であったとされます。
戊辰戦争… 続きを読む