清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
京都府京都市 清浄華院/姉小路公知墓所
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清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
麟祥院にある嵯峨実愛の墓所。
幕末期には正親町三条実愛と称し、
薩摩藩に近い立場の公卿でした。
「従一位勲一等嵯峨實愛墓(中央)」、
「正二位訓二等侯爵嵯峨公勝之墓(右)」、
「嵯峨三郎麿之墓(左)」。
正親町三条家… 続きを読む
乙6号5側に大原重徳の墓があります。
「贈正二位大原重徳墓(左)」、
「貴族院議員正二位勲三等
伯爵大原重朝之墓(右)」。
大原重徳は権中納言大原重尹の五男で、
兄大原重成の死去により家督を相続。
日米修好通商条約の締結に反対し、
延臣八十八卿列参奏上… 続きを読む