長府侍町にある「旧野々村家表門」。
一見して普通の武家屋敷の門なのですが、
この手の門なら長府の至る所にあります。
わざわざ保存する価値があるのかというと、
実はその出所が重要。
この表門があった野々村家は、130石馬廻格。
幕末の当主は野々村勘九郎(泉十郎)です。
少々謎の多い人物ですが、
長府藩きっての剣豪とされ(流派不明)、
同志らと長府報国隊を設立し、
五卿の長府滞在時の接待も努めています。
残念な事に藩内政争に巻き込まれ、
自刃を遂げた悲劇の志士でした。
でもこの門は、その野々村邸の門だから、
保存されのではありません。
実はこの門は長府陣屋の一部で、
長府陣屋の勝山御殿への移転の際に、
拝領して移設したものなのです。
それを現す左右の鬼瓦は「一文字三星」。
勝山御殿建設にあたって破棄された長府陣屋。
その貴重な一部というわけです。
この門をくぐると公園になっています。
ここは貝島炭鉱社長貝島太市の旧邸跡で、
この公園は「貝島公園」というらしい。
公園の北側の門は貝島旧邸の門。
貝島家は筑豊御三家のひとつに称され、
※他の二つは麻生と安川。
筑豊炭田採掘で財を成した地方財閥。
貝島太市は日産の創始者鮎川義介の妹を妻とし、
井上馨を顧問に迎えて隆盛を誇っていました。
本社を直方から下関に移していますが、
貝島炭鉱は筑豊や佐賀など九州北部が本拠地。
なんで下関に本社を移したのでしょうかね
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泉十郎(野々村勘九郎)を主人公とした小説。
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泉十郎は中山忠光暗殺にも関与したという説があります。
・下関市長府 豊功神社
泉十郎が都督を務めた長府報国隊の顕彰碑があります。