宮城県仙台市 瑞鳳殿

仙台城を徒歩(しかも革靴)で登った後、
伊達政宗の霊廟瑞鳳殿に向かいました。
政宗の眠る瑞鳳殿のある経ケ峯へは、
仙台城跡より直線で1kmもないのですが、
大きく迂回しなければなりません。

瑞鳳殿への坂を登る。

瑞鳳寺」。
伊達家の菩提寺である瑞鳳寺
仙台藩から一門格の寺格を与えられ、
多くの末寺を持って栄えましたが、
明治維新後は荒廃。
大正期に復興しています。

さらに坂を登って瑞鳳殿へ。

道は3つに分かれていましたが、
順路は左側の道とのこと。
登りきると入口に到達しそこからは有料。
伊達政宗の廟のみ拝観料が発生します。


涅槃門」。
瑞鳳殿の入口。とても豪華な門です。
豊臣秀吉が伊達政宗に下賜したもので、
この涅槃門や瑞鳳殿等一帯の建築物は、
空襲で焼失した後に再建されたもの。
樹齢数百年の青森檜葉を用いて、
焼失前と同様の彫刻が施されています。


瑞鳳殿」。
桃山様式の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築。
昭和6年に旧国宝となっていますが、
残念ながら空襲により焼失。
戦後に再建されましたが、
再建に先立って学術調査が行われ、
政宗の遺骸や副葬品が発掘されており、
調査後に遺骸は再埋葬されました。


両脇に殉死した家臣20名の墓が並びます。
20名の殉死風景は壮絶でしょうね。

涅槃門を出て右奥に進み、
戊辰戦争で戦死した仙台藩士の弔魂碑へ。

弔魂碑」。
戊辰戦争で戦死した仙台藩士を慰霊する為、
14代当主伊達宗基等が建立した慰霊碑。
碑前面には、
戊辰之乱仙台士民為本
 藩致命四方者無虞一千
 人矣今建一碑於祖廟之
 側以弔其魂冥々之中庶
 乎其有所慰焉 
 明治十年十月 従五位伊達宗基建
戊辰戦争で仙台藩の為に戦死した、
 1千人余の当地士民の霊魂を慰める為に、
 藩祖の御廟のそばに本碑を建てた 
    明治十年十月 従五位伊達宗基

         と記載されています。

弔魂碑から右に道が続いており、
仙台藩2代及び3代藩主の廟へと続きます。

2代藩主伊達忠宗の墓所「感仙殿」と、
3代藩主伊達綱宗の墓所「善応殿」。
それに9代伊達周宗、11代伊達斉義と、
夫人らの墓所「妙雲界廟」があります。
ここは幕末に関係ないので割愛します。

石段を降りて帰る途中。
西南戦争戦死者を慰霊する碑がありました。

西討戦歿之碑」。
西南戦争に従軍した「警視隊新撰旅団」と、
鎮台所轄軍人」の戦死者を慰霊する碑。

藩祖が眠る経ケ峯は聖地。
藩士らの慰霊碑を建てるにあたり、
ここより喜ばれる場所は無いでしょう。

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