出張で北陸へ。
あまり行けるチャンスが無いので、
休日より実費で前日入りしました。
まずは鯖江藩の史跡を訪問します。
JR鯖江駅を出ると目に入る大きな眼鏡。
鯖江市は眼鏡フレーム生産96%を誇ります。
明治後期の村会議員増永五左衛門が、
農閑期の副業として眼鏡枠作りを提案し、
職人を招いて近在の弟子達に、
製造技術を覚えさせたのが始まりとのこと。
「鯖江市立惜陰小学校」。
鯖江藩校進徳館を前身とする小学校。
学校名の[惜陰]は、
江戸藩邸内の学問所[惜陰堂]に因みます。
「橋本景岳先生像」。
惜陰小学校校庭にある橋本左内の石像。
左内と鯖江藩の関係は不明ですが、
左内の姉が鯖江藩士に嫁いでいますので、
全くの無関係ではないようです。
この石造は明治18年に、
地元住民から寄贈されたものとの事。
「御用屋敷門(赤門)」。
惜陰小学校の隣にある万慶寺の裏門は、
鯖江陣屋の御用屋敷門を移築したもの。
数少ない鯖江陣屋の遺構のひとつ。
「萬慶寺山門」。
鯖江藩主間部家の菩提寺。
逆光で正面から写せませんでした。
萬慶寺には領内で死去した5代間部詮煕、
6代間部詮允の墓や.
8代間部詮実の正室徽美の墓もあるのですが、
どうやって行くのかわかりませんでした。
「萬慶寺本堂」。
7代間部詮勝が描いた風神・龍神・雷神図が、
本堂の天井にあるとのこと。
本堂は閉じられているので拝見できず。
「古町公園」。
遺構は移築されたもの以外は残っていません。
陣屋内の鎮守稲荷が建っていた場所とのこと。
「屋形稲荷神社」。
陣屋鎮守として祀られていた稲荷神社で、
藩政時代は福寿稲荷と称していましたが、
現在は屋形稲荷となっています。
町役場が陣屋跡に建てられた際に、
松阜神社に合祀されていたのですが、
市制20周年を記念して、
当時と同じ位置に建てられました。
「鯖江藩陣屋跡」説明版。
歴史の道の通り沿いにあります。
裏側に願いを叶える願掛け地蔵がありました。
「松阜神社」。
往時は藩祖詮房と初代詮言を祀る受福堂が、
鯖江陣屋の構内に祀られていました。
それを廃藩後に萬慶寺に移鎮しており、
後に現地に移して7代詮勝を合祀しています。
「鯖江藩受福堂 御門」。
陣屋内にあった受福堂の門。
松阜神社拝殿の側面にあります。
これも陣屋の数少ない遺構のひとつ。
幕末の鯖江藩といえば7代藩主間部詮勝。
11代将軍徳川家斉の側近として寺社奉行、
大坂城代、京都所司代などを歴任。
天保11年に家斉の推薦で老中になりますが、
水野忠邦に疎まれて解任させられています。
後に大老井伊直弼の下で再び老中に復帰し、
京都に派遣され安政の大獄を開始。
直弼の[井伊の赤鬼]と共に、
詮勝は[間部の青鬼]として恐れられ、
吉田松陰も詮勝暗殺を企てました。
老中首座となった後は井伊と対立し、
これに敗北して老中を罷免。
桜田門外の変で井伊が倒れると、
詮勝も安政の大獄に加担したとして、
謹慎のうえ厳封の処分となっています。
隠居後は書画を好み、
山水、花鳥、人物を好んで描いたとされ、
前記の萬慶寺本堂の天井画など、
優れた作品を残しました。
※2020/10/26:写真の変更及び追加。
【鯖江藩】
藩庁:鯖江陣屋
藩主家:間部家
分類:5万石→4万石、譜代大名
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