大阪府大阪市 大坂西町奉行所跡

大坂町奉行所は月番制で2ヶ所設置され、
東町及び西町奉行所が機能していました。

江戸町奉行所と内容は同じなのですが、
江戸のように始めから離れた場所ではなく、
西町奉行所は東町奉行所の隣にあって、
2つ並んで西と東となっていました。
※東町奉行所の記事はこちら

しかし享保9年に起こった享保の大火では、
東西2つの奉行所が両方とも焼失。
この教訓より奉行所を同じ場所に置かずに、
西町奉行所を離れた場所に移したようです。


マイドームおおさか」。
現在の西町奉行所の跡地は、
マイドームおおさかとなっています。


西町奉行所址」、
大坂城惣構 西町奉行所跡
 史跡 大阪府庁跡(初代)」碑。
マイドームおおさか前の垣根にある碑群。
東西の町奉行所は維新後に廃止され、
西町奉行所が大阪府庁となりました。
初代大阪府知事は公卿の醍醐忠順で、
2代は後藤象二郎が就任しています。


大坂府立貿易館跡」碑、
大坂府立貿易専門学校発祥の地」碑。
明治7年に府庁が江之子島へ移転した後、
その跡地に大阪博物場が建てられ、
後に府立教育博物館と併合。
図書館、美術館、動物園、舞台など、
何でもありの総合施設となった後、
大阪府立商品陳列所となっています。
昭和に大阪府立貿易館と名称が変更し、
昭和61年にマイドームおおさかとして、
総合展示場となりました。


大阪商工会議所」。
マイドームおおさかの隣は大阪商工会議所


左から、
五代友厚君像」、
土居通夫君像」、
稲畑勝太郎君壽像」。
敷地内にある3人の会頭の銅像。
初代会頭五代友厚は朝ドラあさが来たで、
昨今知名度が上がっていますね。
7代会頭土居通夫剣豪商人の異名があり、
宇和島藩出身の実業家で、
大坂で豪商の用心棒として雇われながら、
出納能力を発揮して評判になった人物。
大阪に内国勧業博覧会を誘致しています。
10代会頭稲畑勝太郎は菓子職人の息子で、
小学生で明治天皇日本外史を誦読し、
褒美にコンパスを下賜された逸話があり、
パリに留学して染色技術を学び、
日本の繊維業界に大きく貢献しています。
また日本初のシネマトグラフを輸入し、
大阪で映画興行も行いました。

大坂の司法行政を担っていた西町奉行所は、
経済発展に貢献した場所となりました。
それは幕末に志士として活躍しながら、
維新に実業家の道を歩んだ五代らと、
なんだか少し似ていますね。

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