四日市代官所は天領三重郡25村を支配し、
その司法、行政を司った代官所。
「東海道分間延絵図巻九」より。
四日市宿は東海道の43番目の宿場で、
絵図のように陣屋が置かれています。
「四日市宿陣屋」説明板。
四日市代官所陣屋跡は、
四日市市立中部小学校の敷地。
正門脇に説明板が設置されています。
「四日市市立中部西小学校」。
残念ながら陣屋遺構は全く残っていません。
四日市は江戸時代初期よりの天領であり、
一時期大和郡山藩領となってはいましたが、
後に再び天領となっており、
後期は信楽代官所の出張代官所となって、
詰役人が数名派遣されています。
四日市陣屋があった事を説明する石碑。
説明板の後方の校庭に建てられています。
四日市代官所は明治維新後に廃止され、
陣屋は度会県支所、安濃津県支所、
さらに三重県庁に使われましたが、
明治九年に起こった伊勢暴動の際に、
放火によって焼失してしまいました。
■関連記事■
・三重県四日市市 四日市宿跡
東海道の43番目の宿場町。
・三重県四日市市 四日市湊
古くから栄えた四日市の港。
・大分県宇佐市 四日市代官所陣屋跡
同名の天領代官所。西国筋郡代の支配。