吉田松陰は東北遊学の際、
白沢宿の山内儀兵衛宅に宿泊しています。
その跡地に石碑があるらしいので、
前回の大館市松下村塾のあった図書館で、
どこにあるのか聞いたのですが、
3人位で色々と調べてもよくわからず、
下記のように特定できたのみでした。
・白沢郵便局のあたりの〇〇さん邸の庭先、
・明治天皇行在所跡碑の奥。
この2つの情報を得て行ってみました。
「明治天皇矢立行在所」碑。
行ってみると意外と簡単に発見。
白沢郵便局の西側の十字路を北に進むと、
右側の塀の奥に碑がありました。
明治14年の東北巡幸の際に、
明治天皇が矢立峠を越えて立ち寄った場所。
白沢は羽州街道の宿場町で、
山内儀兵衛は白沢の庄屋であったようです。
※松陰の記述では山内儀兵衛ですが、
実際には笹嶋儀兵衛だったとのこと。
当時の当主が変名していたのか、
松陰が勘違いしたのか・・・・。
松陰の碑も見えたのですが、
庭の中央の為に敷地に入る必要があり、
家の人に声を掛けるとOKの返事でした。
お家はなにやらやっている様子。
「としょ木漏れ日」。
現在は地域おこしの為の交流の場として、
カフェ、雑貨販売、学び体験が出来たりと、
色々やっているらしい。
こういう場があることは良い事ですし、
外からも何かを目当てにやってくれば、
地域の活性化に繋がります。
是非とも頑張って欲しいものですね。
ご夫婦も感じが良かったです。
「吉田松陰先生遊歴記念碑」。
庭の中央付近に立っている記念碑。
松陰らは一泊して矢立峠に向かいます。
明治天皇もご休憩されたようですので、
立派なお屋敷だったのでしょう。
■関連記事■
・秋田県大館市 相馬大作事件之地
相馬大作事件の現場。
・青森県弘前市 吉田松陰来遊の地 附松陰室
松陰が案内された客間が現存。
・青森県五所川原市 吉田松蔭関連の石碑
五所川原市内の松陰の足跡。
吉田松陰先生遊歴記念碑をとりあげていただきありがとうございます。吉田松陰先生遊歴記念碑、明治天皇矢立行在所碑とも北鹿新聞創設者の笹嶋定治が創建したものです。吉田松陰は東北遊学の際、白沢宿の山内儀兵衛宅に宿泊と記載されていますが、実際には笹嶋儀兵衛宅です。その地は先祖代々笹嶋を名乗っていましたが、混乱の幕末だったので、幕府からあらぬ疑いを避ける為、吉田松陰先生東北遊学時だけ、あえて名字を笹嶋から山内に変えたのだと思います。
>笹嶋 様
コメントありがとうございます。
苗字から察しますに御子孫の方でしょうか?
成程、本来は山内ではなく笹嶋だったと。
ご記載のように変名していたのかもしれませんが、
松陰は誤字や勘違いもしてますので、
単に間違ったのかもしれませんね。
貴重な情報ありがとうございます。
本文にも注釈入れさせて頂きました。