長勝寺は、津軽家の先祖大浦光信の死後、
子の大浦盛信が亡き父の菩提を弔う為、
鯵ヶ沢の種里に創建した曹洞宗の寺院。
大浦家が堀越城に移ると堀越に移転し、
※当主大浦為信は姓を津軽に改めています。
更に弘前城の完成で弘前に移転しました。
「黒門」。
長勝寺の総門で門の先は禅林街と呼ばれ、
33の寺院が林のように並んでいます。
一帯は長勝寺構という出城の役目もあり、
濠と土塁で整備されていました。
「長勝寺」。
禅林街の一番奥が長勝寺です。
弘前城の南方に位置する重森山は、
弘前城よりも高い位置にあり、
そこから城が丸見えとなっていました。
これを嫌った2代藩主津軽信枚は、
重森山を切崩す大工事を行います。
重森山との間に濠を造って土塁を盛り、
禅林街の入口には枡形が設置されました。
「三門」。
江戸初期の創建当時の三門。
国指定重要文化財。
「本堂」。
通常の本堂のように正面に向拝玄関は無く、
正面には窓構が並んでいるのみです。
入るには庫裏を通らなければなりません。
明治期には向拝玄関あったようですが、
平成期の修理で本来の様式に戻され、
当初の姿を復元されたようです。
国指定重要文化財。
「庫裏」。
大浦城の台所を移築したと伝えられる庫裏。
これも国指定重要文化財。
「津軽家墓所」。
本堂南側にある津軽家墓所。
冬季の見学は予約が必要との事で、
柵から覗く事しかできませんでした。
この津軽家墓所には歴代藩主の墓の他に、
環月臺(初代藩主為信室霊屋)、
碧巌臺(二代藩主信枚霊屋)、
明鏡臺(二代藩主信枚室霊屋)、
白雲臺(三代藩主信義霊屋)、
凌雲臺(六代藩主信著霊屋)が建っており、
是非とも参拝したいところですので、
もう一度訪問しようと思います。
また旧幕府軍に攻められて弘前に逃れ、
薬王院で死去した松前藩13代松前徳広は、
この長勝寺に仮埋葬されたようで、
2年後に松前の歴代墓所に改葬されており、
長らく仮埋葬地は特定出来ませんでしたが、
防災設備設置工事の際に発見されました。
これも公開されていないようです。
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