黒石藩津軽家の墓所は保福寺跡。
跡ということは寺が無いということですが、
保福寺が廃寺になったということではなく、
平成3年に火災で焼失してしまった為、
市街より東の牡丹平へ移転しています。
「保福寺山門」。
焼失してしまった元の保福寺の跡は、
墓地が残されている他は更地となっており、
更地なだけに寺域の広大さがわかります。
「津軽家墓所」。
黒石藩津軽家の菩提寺は、
江戸の津粱院や常福寺でしたが、
国許あったほうが良いだろうということで、
名家老として知られる境形右衛門が、
保福寺を菩提寺に定めたという。
左側2基の古い墓は3代津軽承保の子と、
初代津軽親足の子久鶴の墓で、
双方とも早逝したようです。
右側の2基が石黒津軽家の累代墓。
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