幕使暗殺と幕府軍艦拿捕/朝陽丸事件。
それに加えて薩摩藩船の撃沈/長崎丸事件。
やりたい放題の長州藩ですが、
以後は連合艦隊の攻撃まで沈静しました。
しかし今度は上関(上関義勇隊)が、
やらかしてしまいます。
薩摩の商人である大谷仲之進は、
田布施の船主水田仲治郎の加徳丸を雇い、
堺で荷を積んで薩摩に戻る途中、
田布施別府浦に寄港しました。
元治元年1月12日。
上関義勇隊は薩摩藩が攘夷を謳いながら、
陰で外夷との通商をしている事を嫌い、
寄港していた加徳丸を襲撃します。
※当時物価の高騰は薩摩藩と外夷の通商が、
その原因であるとする風評も流れていた。
隊士の5~6人が停泊中の加徳丸を襲撃。
薩摩商人大谷仲之進は殺され、
加徳丸は積荷ごと燃やされました。
積荷は綿で外国輸出品かどうかは不明。
そこに薩摩商人がいたというだけで、
大谷仲之進は殺されてしまいます。
しかも加徳丸は地元の船でしたが、
容赦なく燃やされました。
ここでもやらかしているのですが、
話には続きがあります。
隊士達は大谷の首を持ち帰り、
総督である佐々木亀之助に報告します。
佐々木はこの首級を大坂で梟首して、
世間にその事実を明らかする事を思い付く。
※薩国罪状暴白。
大阪行きには隊士水井精一と、
山本誠一郎の二人が選ばれて、
彼らは大谷の首を持って大阪に入ります。
※この二人は襲撃に参加していません。
大阪に到着した二人は、
在阪の重臣に梟首の件を報告しますが、
重臣らは粗暴ぶりが世間に知れるだけで、
藩侯に迷惑が掛かるだけだと反対。
二人はこれに納得して、
服務の為に上関に帰って行きました。
しかし上関に帰った筈の二人は、
南御堂に首級と斬奸状を掲げ、
見事に切腹を遂げています。
反対されて帰り支度をする二人の許へ、
野村和作ら尊攘過激派が現れます。
今回の事件を聞きつけた彼らは、
「薩摩の商人を梟首し、
薩摩藩の悪行を世間に知らしめたいが、
藩の重臣達の言うとおり、
粗暴ぶりだけが世間に知れるのはまずい。
二人には首級と斬奸状の前で自決して、
粗暴で事件を起こしたのではないと、
証明をしてもらいたい」と提案。
二人は強要される云われはないと、
拒否して上関に帰ろうとしますが、
野村らは二人が拒むらならば、
総督の佐々木に誰でもいいから死ぬ人間を、
隊から差し出すように連絡するというので、
二人は自分達が死ぬ筈のところを、
身代わりを出させるのは恥であるので、
自決の覚悟を決めてこれを承諾したという。
「南御堂」。
二人が切腹を遂げたのはこの門前。
この理不尽な死には別の話も残っています。
佐々木が薩国罪状暴白の為に、
隊士から命を捨てる者を募ると、
水井精一だけが名乗り出ます。
一人ではインパクトに欠けるため、
普段から素行が悪い山本を説得し、
因果を含めて自刃を了承させました。
いざ本番というところで、
水井はちゃんと切腹しましたが、
山本は切腹するのを躊躇したので、
野村が殺して切腹にみせかけたという。
どちらも後味の悪い話ですが、
勿論これらは伝承の一部にすぎず、
二人が誰の指示も受けずに、
自らの意思で切腹したともされます。
さて3隻の船の事件を取り上げましたが、
どれもメジャーな話ではありません。
殆どの物語でもスルーされており、
語られることはありません。
後味の悪い事件だからでしょうかね。
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