襲ったのは外国船だけじゃなかった③/加徳丸事件

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幕使暗殺幕府軍艦拿捕/朝陽丸事件。
それに加えて薩摩藩船の撃沈/長崎丸事件。
やりたい放題の長州藩ですが、
以後は連合艦隊の攻撃まで沈静しました。
しかし今度は上関(上関義勇隊)が、
やらかしてしまいます。

薩摩の商人である大谷仲之進は、
田布施の船主水田仲治郎加徳丸を雇い、
で荷を積んで薩摩に戻る途中、
田布施別府浦に寄港しました。

元治元年1月12日
上関義勇隊は薩摩藩が攘夷を謳いながら、
陰で外夷との通商をしている事を嫌い、
寄港していた加徳丸を襲撃します。
※当時物価の高騰は薩摩藩と外夷の通商が、
 その原因であるとする風評も流れていた。


隊士の5~6人が停泊中の加徳丸を襲撃。
薩摩商人大谷仲之進は殺され、
加徳丸は積荷ごと燃やされました。
積荷は綿で外国輸出品かどうかは不明。
そこに薩摩商人がいたというだけで、
大谷仲之進は殺されてしまいます。
しかも加徳丸は地元の船でしたが、
容赦なく燃やされました。

ここでもやらかしているのですが、
話には続きがあります。
隊士達は大谷の首を持ち帰り、
総督である佐々木亀之助に報告します。
佐々木はこの首級を大坂で梟首して、
世間にその事実を明らかする事を思い付く。
薩国罪状暴白
大阪行きには隊士水井精一と、
山本誠一郎の二人が選ばれて、
彼らは大谷の首を持って大阪に入ります。
※この二人は襲撃に参加していません。
大阪に到着した二人は、
在阪の重臣に梟首の件を報告しますが、
重臣らは粗暴ぶりが世間に知れるだけで、
藩侯に迷惑が掛かるだけだと反対。
二人はこれに納得して、
服務の為に上関に帰って行きました。

しかし上関に帰った筈の二人は、
南御堂に首級と斬奸状を掲げ、
見事に切腹を遂げています。

反対されて帰り支度をする二人の許へ、
野村和作ら尊攘過激派が現れます。
今回の事件を聞きつけた彼らは、
薩摩の商人を梟首し、
 薩摩藩の悪行を世間に知らしめたいが、
 藩の重臣達の言うとおり、
 粗暴ぶりだけが世間に知れるのはまずい。
 二人には首級と斬奸状の前で自決して、
 粗暴で事件を起こしたのではないと、
 証明をしてもらいたい
」と提案。
二人は強要される云われはないと、
拒否して上関に帰ろうとしますが、
野村らは二人が拒むらならば、
総督の佐々木に誰でもいいから死ぬ人間を、
隊から差し出すように連絡するというので、
二人は自分達が死ぬ筈のところを、
身代わりを出させるのは恥であるので、
自決の覚悟を決めてこれを承諾したという。


南御堂」。
二人が切腹を遂げたのはこの門前。

この理不尽な死には別の話も残っています。
佐々木が薩国罪状暴白の為に、
隊士から命を捨てる者を募ると、
水井精一だけが名乗り出ます。
一人ではインパクトに欠けるため、
普段から素行が悪い山本を説得し、
因果を含めて自刃を了承させました。
いざ本番というところで、
水井はちゃんと切腹しましたが、
山本は切腹するのを躊躇したので、
野村が殺して切腹にみせかけたという。

どちらも後味の悪い話ですが、
勿論これらは伝承の一部にすぎず、
二人が誰の指示も受けずに、
自らの意思で切腹したともされます。

さて3隻の船の事件を取り上げましたが、
どれもメジャーな話ではありません。
殆どの物語でもスルーされており、
語られることはありません。
後味の悪い事件だからでしょうかね。

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