下関市伊崎町 伊崎厳島神社/鈴ヶ森稲荷神社

下関市伊崎町に伊崎厳島神社と、
鈴ヶ森稲荷神社という2つの神社が、
小瀬戸(小門)を望む高台にあります。

源平合戦の際にを追われた平家一門が、
西へ逃げる際に安芸の厳島神社から、
厳島大明神を分霊して持ってきていました。
そして壇ノ浦の戦いで平家が惨敗した為、
逃げ延びた落人が御神体を隠しますが、
その御神体を地元の人が偶然見つけて、
現在地に祠を建てて祀ったのが、
伊崎厳島神社の始まりとされています。

この神社に吉田松陰が参拝した記録が、
廻浦紀略」に残されています。

松陰が宿泊した關屋松兵衛邸のすぐ近くに、
厳島神社へ登る階段があります。


恐ろしく急な階段。
登ると途中から足に乳酸が溜まります。


伊崎厳島神社」。
小さいながら朱色が綺麗な拝殿。
松陰は「厳島之祠」と呼んでいました。


鈴ヶ森稲荷神社」。
隣にある稲荷神社。
厳島神社と同じように朱色の拝殿です。
伊崎厳島神社の方が主社で、
こちらは末社らしいのですが、
こっちの拝殿の方が大きく見えます。


境内からは下関漁港が望めます。
下関漁港は捕鯨基地だった場所で、
アンコウの水揚げが日本一です。
※フグは南風泊漁港で水揚げ。


神社の脇に裏山へ続く道があります。
松陰は「厳島之祠」を参拝した後、
裏山の日和山を越えて海辺に出て、
身投岩」に到着したという。
現在「身投げ岩」と呼ばれる場所は、
小瀬戸の対岸の彦島側にあります。
松陰の記した「身投げ岩」が同じならば、
見える場所に到着したという事ですが、
下関側にも「身投岩」とよばれる場所が、
当時はあったのかも知れません。
※ちなみに「身投岩」とは、
 平家の残党狩りで追われた人々が、
 身を投げたとされる岩です。

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