松下村塾は吉田松陰の主宰していた私塾で、
元々は松陰の叔父玉木文之進が開設したもので、
長州藩の城下町萩の松本村に存在していました。
密航に失敗した松陰が実家に蟄居した際、
この塾を引き継いで孟子の講義を始めると、
久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、
伊藤博文、山縣有朋、前原一誠、品川弥二郎、
山田顕義、野村靖等々、
幕末を牽引した志士達が集まってくるようになり、
やがて討幕への原動力となっています。
その松下村塾が千km以上も離れた秋田県にあるという。
安田生命の会長であった大館出身の竹村吉右衛門は、
世田谷の豪徳寺町に居住していたようで、
毎朝松陰神社に参拝して松陰に感銘を受けたという。
また松陰が大館で狩野良知の「三策」を持ち帰り、
後に松下村塾から出版した事などから縁を感じ、
竹村の懇意とする玉川学園の創立者小原國芳が、
学園内に松下村塾の模築を建てていた事から、
自分の故郷にも松下村塾の模築を建設したいと願い、
私財を投じて建設したものです。
この大館市松下村塾は、
大館市立栗盛記念図書館にあります。
「大館市松下村塾」。
はじめ市内の北明神町に建てられ、
後に市へ寄贈されて図書館の敷地内に移築。
生涯学習、学習発表の場として使用されています。
現在も使用されているということで、
窓ガラスや空調も付けられた近代的なもの。
市民であれば使ってみたいですね。
「吉田松陰詩碑」。
敷地内にある松陰の詩碑。
親思う心にまさる親こころ
今日のとろずれ何ときくらん
寅二郎
伝馬町の獄に入れられた松陰が、
死を覚悟して両親に送った遺書の中の一首。
吉田松陰という人物は、御存じの通り思想家です。
司馬遼太郎の理論でいえば第一世代とされ、
※司馬は革命三世代論を唱えており、
詩人である予言者が第一世代として出現し、
体制に自己の肉体を激突させて非業に死に、
その志を継いだ第二世代が革命を成し遂げるが、
その殆んどは生き残らず、
第三世代が革命の果実を独占して貪り食うとしている。
実績としては何も残してはおらず、
実際に維新を果たしたのはその門下でした。
しかしながら言い換えれば、
第三世代は善悪含めた新しい制度を残し、
第二世代は革命の功績や英雄譚を残しますが、
松陰ら第一世代はその崇高なる意志を残します。
第二、第三世代はその時代独自のもので、
現在においてその応用が出来ない場合もありますが、
※例えばその時代の戦略が今の時代の即さないなど。
第一世代のそれは永遠ともいえる。
後世の人々は高杉晋作のような人になれとは言いますが、
誰も吉田松陰になれとはいわない。
ただ松陰の意志や思想はこうであったと伝え、
それを心に刻めという。
松下村塾がここや他の場所に模築されているのも、
そういう意味なのではないでしょうか。
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世田谷松陰神社にも松下村塾が模築されています。
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