愛媛県松山市 道後温泉

伊予松山城より1.5km西にある道後温泉
日本三大古湯のひとつとされ、
万葉集にもその記載が見られます。
聖徳太子も道後温泉に浸かったとされ、
天智天皇天武天皇など歴代天皇も行幸。
中世には河野通盛湯築城を築城し、
後に伊予松山藩が温泉を経営しました。

初代藩主松平定行は施設の充実に着手し、
浴槽を士族用、僧侶用、婦人用、
庶民男子用に分け、
他に十五銭湯十銭湯養生湯
馬湯を設けたという。


道後温泉本館」。
道後温泉の中心にある温泉共同浴場。
道後温泉を象徴する建築物です。
訪問時は保存修理工事中で、
建物は工事用素屋根で覆われていました。
明治27年に竣工したもので、
幕末期はこの本館はまだありません。
夏目漱石正岡子規らと通ったそうで、
小説坊ちゃんでもこの本館が登場します。
是非とも入りたかったのですが、
今回は玄関の撮影のみ。


早朝より下関を出発して、
昼から松山城に登城。
旅館にチェックインした後は、
疲労で体が動かない。
それでもせっかく来たのだからと、
一応本館には行きましたが、
それほど散策せずに旅館に帰り、
家族で爆睡してしまいました。

慶應元年4月。
高杉晋作下関開港論を唱えた為、
おうのを連れて亡命。
西宮大坂を経て四国入りし、
丸亀から松山に入って道後温泉に滞在し、
7日間滞在しています。
後に琴平の侠客日柳燕石を頼っていますが、
道後温泉でどこに泊ったかはわかりません。

■関連記事■
愛媛県松山市 伊予松山城①//
 道後温泉を支配した伊予松山藩の藩庁跡。
長門市 俵山温泉
 赤間関街道の温泉宿場。
長野県諏訪市 高島城
 高島藩は城下に温泉を引いていたという。

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