本荘藩藩主六郷家の国許菩提寺は永泉寺。
六郷家は元々仙北郡六郷村の豪族で、
豊臣秀吉の小田原征伐に参陣し、
所領の4500石を安堵されています。
関ケ原の戦いの戦功で1万石に加増され、
更に2万石加増となって由利郡本荘に入封。
菩提寺である永泉寺を移転させました。
「山門」。
慶応元年建立の楼門形式の山門。
永泉寺は何度も火災に遭っていますが、
この山門は焼失を免れており、
現在は県指定文化財の登録されています。
「本堂」。
六郷家は関ケ原の功績で常陸府中に転封し、
その後の加増で本荘に入っています。
寺名は菩提寺であった永泉寺を採用し、
2代六郷政勝の代に開山しました。
※六郷の永泉寺は現存。
「六郷家墓所」。
ネットにて事前にリサーチし、
初代、9代、11代の墓があると確認し、
そのつもりで参拝しましたが、
どうも間違った情報らしい。
それ以外の藩主の墓が見受けられます。
「善性院殿前阿州太守
従五位法譽祖蓮大居士」。
4代藩主六郷政晴の墓。
政春の墓は浅草の万隆寺とのことですが、
戒名を確認すると政晴のものに間違いない。
江戸で死去して万隆寺に葬られているので、
遺髪墓なのでしょうか?
「眞霊院殿前兵庫頭
従五位下寶山慧鏡大居士」。
9代藩主六郷政恒の墓。
こちらも戒名を確認して政恒の墓と断定。
政恒の隣にある墓。
風化が激しく戒名の確認ができませんが、
[前〇州太守][従五位下]と読み取れ、
藩主である事は間違いないのですが、
残念ながら誰の墓かわかりません。
こちらも藩主の墓だと思われます。
瑞林寺殿、太守、従五位下と読めるので、
5代六郷政長ではないかと思われます。
※wikipediaでは瑞林院鳳山玄祥。
六郷家は代々従五位下を賜っているので、
藩主の墓であるのは間違いないでしょう。
ネットって当てにならないなと思う次第です。
「贈従三位勲四等
十一代子爵六郷政鑑之墓」。
幕末の11代藩主六郷政鑑の墓。
文久元年に10代六郷政殷の死去により、
弱冠14歳で藩主となります。
秋田戦争で本荘藩は軍備、兵力共に劣り、
庄内藩に圧倒され籠城を決意しますが、
味方は秋田での決戦を主張して退却した為、
やむなく本荘城の放棄して自焼させます。
戦後は焼失した城下の復興に尽くし、
廃藩置県後に東京に移り住みますが、
晩年は本荘に戻っており、
明治40年に死去しました。
初代六郷政乗の墓は発見できず。
特定できなかった墓か?
見落としがあったのか?
確認できずに永泉寺を後にしました。
■関連記事■
・東京都台東区 萬隆寺/本荘藩六郷家墓所
東京にある本荘藩六郷家の累代墓。
・秋田県由利本荘市 本荘城跡
本荘藩六郷家の居城跡。
・由利本荘市 龍門寺/亀田藩岩城家墓所
亀田藩岩城家の菩提寺。
・秋田県秋田市 天徳寺/久保田藩佐竹家墓所
久保田藩佐竹家の菩提寺。