庄内藩の藩校致道館は7代藩主酒井忠徳が、
文化2年(1805)に創設したもので、
当初山王社(現日枝神社)近くにありましたが、
文化13年に現在地に移されています。
現存する東北地方唯一の藩校建造物で、
講堂、御入間、表御門の他、
孔子を祀る聖廟が残されており、
国指定史跡として一般公開されました。
「表御門」。
藩主のお成りの際に使用された門で、
普段は閉じられていたようですが、
現在は入場口として開かれています。
「聖堂」。
表門を入って左側にある孔子を祀る聖堂。
聖堂や孔子廟は儒学校に建てられたもので、
昌平黌の湯島聖堂や足利学校の聖堂など、
儒教の創始者である孔子を祀り、
その精神的支柱としていました。
毎年2月と8月に釈奠が行われたようです。
「華陽中臺先生之碑」。
教育者中台華陽の顕彰碑。
庄内藩侍医中台元倫の長男として生まれ、
致道館で学び、明治元年に致道館助教に就任。
明治6年に上京して師範学校で教育法を学び、
帰郷して伝習学校や朝暘学校で教鞭を振い、
また私塾を開いて子弟らを指導しました。
この碑は門人の海軍中将佐藤鉄太郎、
漢学者芳賀剛太郎らによって建立されたもの。
「講堂」。
講義が行われてそうな名称ですが、
打ち合わせや会議、参勤中の役所に使われ、
生徒は始業式等しか出入り出来ませんでした。
講堂内。
教科書として使われていた刷り本や、
印刷に使った版木等を展示しています。
「御入間」。
藩主お成りの際に入った場所。
特に奥の御居間の天井と床下は、
賊の侵入を防ぐ仕組みが成されているという。
生徒の階級は5段階に分れ、
年に数回ある学業検閲に合格すれば、
年齢や修学年に関係なく順次進級しました。
朱子学が諸藩の藩学の主流となる中、
庄内藩は徂徠学を藩学としており、
※江戸中期の儒者荻生徂徠の儒学体系。
朱子学の道徳第一主義を否定。
致道館は廃校までこれを堅持しています。
■関連記事■
・山形県鶴岡市 鶴ヶ岡城跡
庄内藩酒井家の居城跡。
・山形県鶴岡市 致道博物館
致道館の管理も行っているようです。