山形県鶴岡市 湯田川温泉(新徴組本部跡)

鶴岡の奥座敷と呼ばれる湯田川温泉は、
山形県内で2番目に古い温泉とされ、
開湯は和銅5年(712)であるという。
出羽三山参り精進落としに利用され、
温泉場として賑わいを見せた他、
庄内藩藩主の湯治場にも利用されたという。


湯田川温泉」。
江戸時代に作成された温泉番付では、
常に東の前頭筆頭あたりにランクされており、
全国的にも知られていたようです。
良い意味ひなびた温泉地といった雰囲気。


新徴組本部跡(はやと旅館)」。
慶応4年に庄内藩は江戸を引き上げ、
その配下であった新徴組隊士136名と、
その家族311名も随行。
藩は湯田川温泉の宿屋と民家37軒に分宿させ、
約2年間新徴組が居住しました。
その際このはやと旅館組役所に指定され、
係役人が出張して監督にあたっています。
※後に藩は新徴組の為に城下に住宅を建て、
 新徴屋敷と称して住まわせました。



長福寺」。
長福寺は大同2年(807)に行基によって開山し、
温泉鎮護の由豆佐売神社の別当寺院として栄え、
最上家酒井家など領主から庇護されました。
新徴組が湯田川に本部を置いた事から、
北側にある長福寺墓地には、
隊士やその家族の墓が建てられています。

長福寺墓地には鯉ヶ池という溜池より、
北側の道を進むとあります。

幕末志士 新徴組の墓地」。
戊辰戦争で戦死した隊士らと、
新徴組の湯田川温泉での居住中、
ここで死去した隊士と家族が葬られた墓地。


墓地の様子。
意外に間隔は広く草で覆われており、
訪問時は丁度草刈りを始めるところで、
邪魔にならないように参らせて頂きました。


葬られている隊士ら。
岩間七郎 17歳 常陸国 小鍋坂で戦死、
水野令三郎19歳 武蔵国 関川で戦病死、
佐々木貞三郎   武蔵国 関川で戦病死、
辻眞太郎 25歳 羽前国 明治2年没、
尾崎恭蔵     越中国 明治5年没、
内藤七之助28歳 甲斐国 明治元年没、
小松慶助 57歳 信濃国 明治2年没、
尾崎文太郎    越中国 明治2年没、
義秀院雄伊函居士 慶応22年(?)没、
※俗名不詳、没年の意味も不明。
他家族12柱が埋葬。

その後に始められた松ヶ岡開墾には、
新徴組士から65名が参加したとされますが、
次々と離脱して故郷に帰ってしまい、
現在は末裔の三戸のみ残っているという。

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