郡司家は大内家に仕える砲術の家系で、
大内家が滅びた後は毛利家に仕え、
砲術家五家、鋳造家二家に分れました。
鋳造家二家は防長二州の鋳物師総代を務め、
太平の世には鍋などの生活用品や、
梵鐘などを製造していましたが、
海防の為に洋式大砲製造が急務となると、
長州藩は当主郡司喜平治を大砲鋳造用掛に任じ、
在来の方法で洋式大砲を製造させています。
製造した砲は下関の攘夷戦に使用されますが、
この砲には塁旋を採用しておらず、
江戸藩邸で鋳造されて下関に運ばれた砲には、
塁旋が採用されていた為、
飛距離に違いがあったとされています。
「郡司鋳造所跡」。
復元された鋳造所。
郡司鋳造所遺構広場として整備されていますが、
実際に鋳造所があった場所は、
南西に50m程いった場所という。
※道路向いの月見川傍あたりか?
こしき炉を使った鋳造作業想像図。
現地説明板より。
こういう絵があるとわかりやすいですね。
郡司鋳造所で24、32ポンド砲が製造され、
下関攘夷戦に使われています。
郡司鋳造所遺構広場にある大砲のレプリカ。
ここで製造された青銅製の大砲は、
英仏蘭米連合軍に鹵獲されており、
現在も各国の博物館等で展示されています。
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