下関市竹崎町 大歳神社(再訪)

ブログの始めたばかりの平成24年に、
大歳神社の記事を書いていたのですが、
9年ぶりに訪問してみました。


三井住友銀行下関支店の東側が参道で、
その急な石段は115段あり、
一二三のお祓い坂」と呼ばれています。
本来は123段あったようですが、
先の戦時中に2度崩壊しており、
現在は8段不足しているという。


大鳥居」。
文久2年に攘夷祈願として、
白石正一郎が寄進した大鳥居
鳥居の裏側には白石の名も刻まれています。

ちなみに幕末当時の大歳神社は、
下関駅北側の線路上にあったらしく、
昭和15年の関門鉄道トンネル開通に伴い、
下関駅が移転した為に立ち退きさせられ、
現在地に遷座したようです。


拝殿」。
平家との戦いに臨む源義経は、
平家が籠る彦島が見える有明山に登り、
小松を植えて大歳神に戦勝祈願します。
桑の木で弓矢を作って神前に捧げた後、
それを開戦の矢文として彦島に放ちました。
そして戦いは源氏の勝利で幕を閉じ、
義経の祈願を見ていた4軒の漁師が、
神祠を建立してこれを祀り、
その神祠が大歳神社となったという。
以来武運長久の神として敬われ、
高杉晋作奇兵隊旗揚げの軍旗を奉納。
攘夷戦の勝利を祈願しました。


七卿顕彰画碑」。
三条実美卿ら七卿が政変を避け、
長州へ下向する様子を写刻したもの。
氏子であった白石正一郎邸に、
七卿が滞在していた縁をもって、
大正4年に関門史談会が建立したもの。
下関駅が移転に伴う立ち退きの際、
20年間も放置されていたようで、
痛んでいるのはその為のようです。


明治維新萌漸之史跡」。
題字だけではわかりませんが、
これは白石正一郎の顕彰碑です。
この題字は土方久元によるもので、
土方は七卿落ちにも同行しており、
白石とも懇意であったという。

久々の大歳神社。
殆ど何も変わりないようですが、
変わりない事は良い事でしょうね。

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 前回訪問時の記事。9年前。
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