愛知県西尾市 長圓寺/板倉家墓所③

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福島藩重昌流板垣家の歴代藩主。


撑月院殿淑峯源光大居士」。
重昌流板倉家初代当主、
深溝藩初代藩主板倉重昌の墓。
宗家初代板倉勝重の次男として生まれ、
徳川家康近習出頭人と呼ばれており、
大坂の陣豊臣方との交渉にあたりました。
島原の乱では鎮圧の上使となりますが、
諸侯は小禄であった重昌の指揮に従わず、
統率が出来なかったという。
そこで幕府は老中松平信綱を大将とし、
大幅な増援をする事となりますが、
重昌はこれを恥じたのか功を焦ったのか、
総攻撃を行って戦死しました。
重昌の墓は島原市江東寺にもあります。


鳥山城主中大夫拾遣板倉君之墓(左)」、
鳥山城主板倉君夫人小出氏之墓(右)」。
重昌流板倉家2代当主、
深溝藩2代、三河中島藩初代、
鳥山藩初代藩主板倉重矩の墓。
初代板倉重昌の長男として生まれ、
島原の乱では父に追従して出陣。
父重昌は無理な総攻撃で戦死していますが、
直後の弔い合戦で敵将有家監物を討ち取り、
武士としての面目を保ちますが、
軍令違反として謹慎処分を受けています。
その後に許されて家督を相続。
藩庁を中島に移して中島藩となり、
幕政では京都所司代老中を歴任し、
後に鳥山藩に移封されました。
島原の乱では幕府に罰せられていますが、
歴戦の猛者水野勝成は彼の軍功を賞賛し、
自らの凪刀を送ったという。


了空院殿實山源眞大居士」。
重昌流板倉家3代当主、
鳥山藩2代、岩槻藩初代、
坂木藩初代藩主板倉重種の墓。
2代重矩の三男として生まれ、
長兄、次兄の早世により継嗣となり、
父の死去に伴い家督を相続しています。
奏者番兼寺社奉行、老中を務め、
岩槻藩に加増転封となっていますが、
幕政での勢力争いや自藩の騒動が原因で、
老中免職のうえ坂木藩に減封となりました。


實崇院殿義峯源卓大居士」。
重昌流板倉家4代当主、坂木藩2代、
福島藩初代藩主板倉重寛の墓。
3代重種の長男として生まれ、
養子となっていた父に代わり、
旗本板倉家の養子となっていますが、
後に戻されています。
父の隠居により家督を相続しますが、
その際に従兄の板倉重宣に2万石分与。
※この重宣の系譜が後の庭瀬藩板倉家
元禄15年に福島藩に移封となっています。


大通院殿了雲源智大居士」。
重昌流板倉家5代当主、
福島藩2代藩主板倉重泰の墓。
福島藩初代重寛の長男として生まれ、
父重寛の隠居により家督を継ぎますが、
その翌年に病死してしまいます。


眞空院殿徹叅源慧大居士」。
重昌流板倉家6代当主、
福島藩3代藩主板倉勝里の墓。
丹南藩6代高木正陳の次男として生まれ、
福島藩2代重泰の養子となって家督を相続。
5度も大坂加番に就任しています。


玄泰院殿寛道源通大居士」。
重昌流板倉家7代当主、
福島藩4代藩主板倉勝承の墓。
福島藩3代勝里の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しました。
治世で福島三万石騒動切米騒動が発生。
城代家老松原克昌の失態などもあり、
幕府から閉門の処分を受けています。


泰亮院殿宗〇源大居士」。
重昌流板倉家8代当主、
福島藩5代藩主板倉勝任の墓。
福島藩3代勝里の次男として生まれ、
兄勝承の死去により家督を相続しますが、
翌年に病死してます。


寛亭院殿廓照源〇大居士」。
重昌流板倉家9代当主、
福島藩6代藩主板倉勝行の墓。
備中松山藩初代板倉勝澄の四男に生まれ、
末期養子となって家督を相続しました。
7年の治世で倹約を奨励し、
幕政では大坂加番も務めています。


桃渓院殿仙翁源齢大居士」。
重昌流板倉家10代当主、
福島藩7代藩主板倉勝矩の墓。
安中藩初代板倉勝清の五男として生まれ、
末期養子となって家督を相続しますが、
僅か2年で死去しました。


泰壽院殿仙峯源久大居士」。
重昌流板倉家11代当主、
福島藩8代藩主板倉勝長の墓。
福島藩7代勝矩の次男として生まれ、
父勝矩の死去に伴い家督を相続します。
大坂加番の任務中に大坂城で火災が発生。
焔硝蔵への落雷で大爆発となり、
貯蔵する黒色火薬鉛弾火縄が焼失し、
城内では29人が死亡し130人が負傷。
天守御殿等の建造物が損壊しており、
城下でも多数の家屋が破損しました。


玉翁院殿崑山源耀大居士」。
重昌流板倉家12代当主、
福島藩9代藩主板倉勝俊の墓。
福島藩8代勝長の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続します。
藩政改革を推進しようとしていますが、
反対派家臣によって挫折して隠居しました。


顯徳院殿麒峰源麟大居士」。
重昌流板倉家13代当主、
福島藩10代藩主板倉勝顕の墓。
福島藩9代勝俊の長男として生まれ、
父の隠居により家督を相続。
真忠組の鎮圧で功績を挙げた他、
幕命で日光山警備に兵を出しています。
慶応2年に隠居していますが、
年若い11代板倉勝己を補佐し、
大きな影響力を持っていました。
戊辰戦争では米沢へ避難しており、
米沢藩の降伏後に藩主勝己と共に降伏。
新政府より謹慎処分を受けています。

11代板倉勝己及び、
12代板倉勝達の墓はここにはありません。

次は庭瀬藩板倉家
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