愛知県西尾市 長圓寺/板倉家墓所⑤

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安中藩重形流板倉家の歴代藩主。


大圓院殿機外源用大居士(右)」、
通玄院殿眞観智勝大姉(左)」。
重形流板倉家初代、
安中藩初代藩主板倉重形とその室の墓。
板倉宗家2代板倉重宗の次男として生まれ、
兄で宗家3代板倉重郷に1万石を分与され、
後に加増されて安中藩に転封しました。
安中藩の前は正式に立藩していない模様。
藩政の基礎固めを行った他、
幕政では寺社奉行に就任しています。


祥額院殿雲峯源瑞大居士」。
重形流板倉家2代、安中藩2代、
泉藩初代藩主板倉重同の墓。
大身旗本神保元茂の次男として生まれ、
母が初代重形の娘であった事から、
外祖父重形の養嫡子となっており、
その死後に家督を相続しました。
後に泉藩に移封となっています。


故執政従四位下拾遣前佐州刺史
 源勝清之墓」。
重形流板倉家3代、泉藩2代、相良藩初代、
安中藩(2度目の)初代藩主板倉重清の墓。
2代重同の長男として生まれ、
幕政において若年寄を長期に渡って務め、
寺社奉行や老中にも抜擢されました。
相良藩に加増された後に安中藩に再封。
老中在任中に病死しています。


祥額院殿雲峯源瑞大居士」。
重形流板倉家4代、
安中藩(2度目の)2代藩主板倉勝暁の墓。
安中藩(2度目の) 初代勝清の長男に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
奏者番などを務めています。


本灮院殿瑞翁源相大居士」。
重形流板倉家5代、
安中藩3代藩主板倉勝意の墓。
安中藩(2度目の)初代勝清の六男に生まれ、
兄の養嫡子となってその死後に家督を相続。
13年の治世の後に死去しています。


瑞灮院殿良學源丈大居士」。
重形流板倉家6代、
安中藩4代藩主板倉勝尚の墓。
備中松山藩4代板倉勝政の五男に生まれ、
安中藩3代勝意の養嫡子となり、
養父の死去に伴い家督を相続しました。
藩校造士館の創設や倹約を行っており、
幕政では奏者番を務めています。


智照院殿英俊源雄大居士」。
重形流板倉家7代、
安中藩5代藩主板倉勝明の墓。
安中藩4代勝尚の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
藩政改革を推進して財政再建に努め、
軍制改革にも着手した他、
藩士への学問奨励を行っています。
本人も学者藩主と称されており、
西征起行東還紀行遊中禅寺記等を著作。
また藩士鍛錬の為に安政遠足を行い、
これが日本のマラソン発祥となりました。
安政4年に死去。

6代(8代当主)板倉勝殷の墓は無し。
※渋谷区の吸江寺の累代墓。

これにて長圓寺の藩主家の墓は、
全てご紹介致しましたが、
他にも熊本藩主を殺害した板倉修理家や、
大身旗本深溝板倉家の墓もありましたし、
現在も板垣宗家の墓所であるようです。
ひとつひとつの墓石はそれ程大きくないし、
墓所もそれ程広くはありませんが、
これほど一族が集う墓所も珍しいでしょう。

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