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庭瀬藩重宣流板垣家の歴代藩主。
「従五位下前越州太守板倉氏重宣之墓」。
重宣流板倉家初代当主、
高滝藩初代藩主板倉重宣の墓。
重昌流板倉家2代板倉重矩の孫で、
※重矩の長男板倉重良の長男。
家督は叔父の板倉重種が継ぎ、
重種の養嫡子となっていました。
しかし後に重種は重宣を廃嫡とし、
自らの子板倉重寛を世子とした為、
重宣の母は実家の岡山藩藩主池田光政に訴え、
光政もこの一件を幕府に報告。
重種は老中を罷免されて謹慎処分を受け、
さらに坂木藩に減移封されています。
重種はこれを恥じて所領奉還を願いますが、
幕府は重種を隠居させて所領を分割し、
3万石を重種の子重寛に与えて家督を継がせ、
2万石を重宣に与えて別家を興させます。
これによって重宣は高滝藩を立藩しますが、
その翌年に病死してしまいました。
「淨泰院徳巌源芳大居士」。
重宣流板倉家2代当主、高滝藩2代、
庭瀬藩初代藩主板倉重高の墓。
園部藩2代小出英知の三男に生まれ、
高滝藩初代重宣が継嗣無く早世した為、
その末期養子として家督を継ぎました。
後に庭瀬藩に移封となっています。
「永宵院殿鶴山源夢大居士」。
重宣流板倉家3代当主、
庭瀬藩2代藩主板倉昌信の墓。
庭瀬藩初代重高の次男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しています。
27年の治世の後に死去。
「汞壽院殿鶴峰源龜大居士」。
重宣流板倉家4代当主、
庭瀬藩3代藩主板倉勝興の墓。
庭瀬藩2代昌信の長男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続。
54年の長期にわたり藩主を務めました。
「汞光院殿一山源珪大居士」。
重宣流板倉家5代当主、
庭瀬藩4代藩主板倉勝志の墓。
庭瀬藩3代勝興の長男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を継いでいますが、
翌年に病死しています。
「心月院殿廓天源喜大居士」。
重宣流板倉家6代当主、
庭瀬藩5代藩主板倉勝喜の墓。
庭瀬藩3代勝興の四男として生まれ、
兄の死去に伴い末期養子となり家督を相続。
18年の治世の後に隠居しており、
陣屋に先祖を祀る清山陣屋を建立しています。
「永崇院殿南山源壽大居士」。
重宣流板倉家7代当主、
庭瀬藩6代藩主板倉勝氏の墓。
庭瀬藩5代勝喜の三男に生まれ、
兄達が病弱な為に継嗣に指名されて、
父の隠居により家督を相続していますが、
僅か2年で病死しています。
「徳應院殿麒鳳源麟大居士」。
重宣流板倉家8代当主、
庭瀬藩7代藩主板倉勝資の墓。
5代勝喜の四男として生まれ、
兄の早世により末期養子となって家督を相続。
藩政改革に着手して一定の成功を治め、
非常時に備える義倉を設置した他、
藩校誠意館を設置して子弟教育を推進しました。
「芳俊院殿功山源運大居士」。
重宣流板倉家9代当主、
庭瀬藩8代藩主板倉勝貞の墓。
5代勝五喜の五男として生まれ、
兄勝貞の長男板倉勝敬が幼少であった為、
継嗣となって兄の隠居により家督を相続。
16年の治世の後に隠居しました。
「天徳院殿峯山源照大居士」。
重宣流板倉家10代当主、
庭瀬藩9代藩主板倉勝成の墓。
磐城平藩4代安藤信由の次男として生まれ、
8代勝貞の継嗣で7代勝資の長男勝敬が、
24歳で早世した為に勝貞の養嫡子となり、
養父の隠居に伴い家督を相続しましたが、
その同年に死去しています。
「明覺院殿義山源禮大居士」。
重宣流板倉家11代当主、
庭瀬藩10代藩主板倉勝全の墓。
伊勢崎藩7代酒井忠恒の三男に生まれ、
継嗣なく死去した9代勝成の末期養子となり、
庭瀬藩の家督を継ぎました。
同族の福島藩から養子板倉勝弘を貰い。
安政5年に隠居しました。
最後の藩主11代板倉勝弘の墓は、
ここにはありません。
次は安中藩板倉家。
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庭瀬藩板倉家の陣屋跡。