愛知県西尾市 長圓寺/板倉家墓所①

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板倉家渋川義顕の後裔板倉頼重を祖とし、
深溝松平家に仕えていましたが、
戦国時代徳川家康の直臣となり、
譜代大名として4家が幕末まで続きました。

板倉家宗家初代板倉勝重は、
深溝松平家家臣板倉好重の次男として生まれ、
浄土真宗永安寺の僧となっていましたが、
父や兄が戦死した為に偏俗して家督を相続。
家康に仕えると施政家としての才能を発揮し、
駿府町奉行関東代官江戸町奉行
京都町奉行(後の京都所司代)を歴任しました。

勝重は荒廃していた永安寺を再興し、
長圓寺と改めて板倉家の菩提寺とし、
その死後は長圓寺に葬られましたが、
7回忌に長男板倉重宗が現在地に移し、
勝重の霊廟を建立して改葬しています。
その重宗も同じく長圓寺に葬られ、
以後は分家を含む全ての当主が、
この長圓寺に葬られるようになりました。


山門」。
寛永7年(1630)に建てられた山門で、
創建当時に建てられたもの。
飾りっ気のない薬医門ですが、
古刹の雰囲気にはぴったりでしょう。


本堂」。
長圓寺は天明8年(1788)の火災で焼失しており、
上記の山門と勝重の霊廟である肖影堂を残し、
全て焼失してしまいました。
現在の本堂は文化113年(1816)に、
永平寺の大工棟梁によって再建されたもの。


板倉家の墓所は本堂南東側にあります。


肖影堂」。
板倉重宗によって建立された勝重の霊廟。
勝重の遺骨は本人の木像に納められ、
この肖影堂に安置されました。
桁行3間、梁間3間の本瓦葺宝形造で、
屋根の頂きに露盤宝珠が施されています。


板倉家墓所」。
肖影堂の周りは各板倉家の当主の墓所。
宗家の備中松山藩の他に、
福島藩庭瀬藩安中藩の藩主の墓が、
所せましと並んでいます。

各藩主の墓については次回から紹介致します。

つづく。
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