山口県萩市 高杉晋作草庵跡地顕彰碑

過激な行動を藩に咎められた為に、
高杉晋作10年の休暇を願い出て、
に帰って隠遁生活を始めます。
周布政之助に10年早いと言われた為、
ならば10年間暇を頂く」となったようで、
これが正式に認められる事となりました。
藩からすれば過激な行動を続けさせるより、
暇を与えてでも阻止したかったようで、
それだけ経てば晋作も落ち着くであろうと、
異例の暇乞いを認めたようです。
許可が得られると次の日には頭を丸めますが、
世子毛利定広はこの姿に嘆息したという。
頭に坊主笠、腰に6~7寸の短刀を吊るし、
酒に酔いながら市街を横行したようで、
さながら狂人のようであったようです。


高杉晋作草庵跡地顕彰碑」。
晋作が隠遁した草庵跡地とのことですが、
正確な場所はわかっていないとの事。
この碑は吉田松陰の墓のすぐ近くです。
頭髪が伸びるまでは松陰の遺書を読み、
静かに暮らそうと考えていた晋作ですが、
隠遁とはいえ一人で住むわけではなく、
妻のを呼び寄せて二人で暮らしたという。
僅か6年という結婚生活の中で、
最も濃密に過ごした期間だったようで、
跡取りの東一も授かっています。
しかしその平穏な日々も僅か2ヶ月。
下関攘夷戦で散々な結果に終わった長州藩は、
隠遁間もない晋作を山口に召喚しました。
そして晋作は奇兵隊創設を進言して認められ、
下関に向かう事となります。

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