晋作の女と言えば妾の「おうの」。
うの(谷梅処)
色々な本やネットを見ても、
大概が晋作はおうのを愛したとされており、
「晋作は家柄の良い井上家の雅を妻とし、
愛人のうのを愛した」
と書かれていたりします。
高杉雅
でも、ちょっと考えてみましょう。
雅とうの。どう違うの?
雅が不細工で駄目妻って訳でもない。
萩一の美人で有名だったらしいですし、
嫁ぎ先の高杉家に良く尽くし、
晋作死後も息子の東一を必死に育てました。
晋作が「武士の妻たるものは・」と、
色々手紙に書いていますが、
雅は十分に期待に答えています。
では、うのはどうでしょう?
「右を向いていろといえば、
いつまでも右を向いているような女」
だったとされていますね。
地味なタイプであったとも言われています。
どうですか?
二人は似たタイプだとは思いません?
家の為に井上家の雅を妻とした事は、
間違いはないでしょうけれど、
だから愛していなかった事にはなりません。
また残される雅宛の手紙でも、
蔑ろにしているとは思えません。
晋作は国事に奔走しなければなりませんので、
萩にはなかなか帰れない。
晋作自身も「武士の妻たるものは、
家を必死に守るべきもの」という理念もある。
そしてそれを忠実にこなす立派な妻。
愛せない理由はありません。
じゃあなんで愛人を作ったんだよ?
・・て思う方もいらっしゃいますが、
晋作は英雄ですが聖人君子ではありません。
ひとり暮らしも長いと人肌も恋しくなります。
似た雰囲気の芸妓に恋しても仕方ないでしょう。
また武士の妻でないうのには、
自由(揚げてもらえば)があります。
四国への亡命に連れて行くことも可能。
僕が想像するには、
雅>うのでも雅<うのでも、
どちらでもないのではないでしょうか?
女性が聞けば怒るかもしれませんが、
カレーととんかつどっちが好き?選べません!
の世界ではないでしょうか?
この二人はよく似ています。
晋作はどこかでそう感じたのでしょう。
晋作の死後、二人は立場は違えど、
同じように晋作に尽くします。
妻は高杉家を守り一人息子を大事に育て上げる。
愛人は出家して晋作の墓を死ぬまで守る。
この二人は面白いもので、
晋作の死後は交友関係にありました。
雅は死後、東行庵の墓に入っていますし、
うのも東行庵に墓がある。
晋作は二人の墓に囲まれて、気まずい雰囲気の中で眠っています。
ただ晋作にとって幸いな事に、
この二人より晋作の墓に近いのは、
福田侠平の墓だったりするんですね(笑)。
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うのは裏町の芸妓でした 。