京都府乙訓郡 山崎宿跡

山崎宿西国街道の1番目の宿場町。
天王山淀川に挟まれた細長い場所で、
摂津国山城国の境に位置します。


乙訓郡大山崎町周辺。緑の線が街道筋で、
青でぼかした辺りが山崎宿跡。
東西の端に黒門が設置されていたようで、
宿場内の治安を維持していたようです。

西側より散策。

西黒門跡」。
碑や説明板が無く正確な位置は不明ですが、
もう少し奥に入った場所かもしれません。
ここから街並みが始まります。

街道を進んでJR京都線の線路に至り、
踏切を越えると山崎蒸留所があります。

サントリー山崎蒸溜所」。
山崎といえはウィスキー「山崎」。
日本が世界に誇るシングルモルトです。
水生野の名水と霧の多い立地条件が、
ウィスキーの蒸溜に適しているとされ、
壽屋洋酒店を創業した鳥井信治郎が、
スコットランドで修行した竹鶴政孝を招き、
山崎蒸溜所を竣工させました。
これが日本初本格ウィスキー蒸留所となり、
後にジャパニーズウィスキーとして、
スコッチバーボンに並ぶに至ります。

踏切を戻って街道筋へ。

街道は線路沿いからゆっくり離れ、
摂津と山城の国境に至ります。

関大明神社」。
山崎の関所があったとされる神社で、
その創建は不詳ですが、
関所の鎮守社であったとも。


従是東山城國」石標。
関大明神社の脇にある石標で、
ここから山城国に入ります。
道は大きく右に曲がりますが、
これは離宮八幡宮を迂回する為。


離宮八幡宮」。
清和天皇宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、
この地に石清水八幡宮を建立しましたが、
その翌年に淀川の対岸にある男山に、
一筋の光が放たれた事から、
男山に石清水八幡宮を遷座します。
これが現在の岩清水八幡宮ですが、
その跡地に再び八幡神を勧請し、
石清水八幡宮を存続させたのがこの神社。
境内が嵯峨天皇離宮跡であった為、
離宮八幡宮と呼ばれるようになり、
後に正式に離宮八幡宮となりました。
禁門の変では長州藩兵が駐屯しており、
京都での戦闘の後に幕府軍の攻撃を受け、
惣門東門を残して社殿は焼失。
写真はその焼け残った総門です。

街道は更に続いて古い家屋も点在し、
僅かに往時の雰囲気を残していますが、
阪急大山崎駅を過ぎると、
住宅街となってしまいます。

東側の街道筋。
新しい家々が立ち並んでおり、
僅かな旧家があるものの殆どが更新され、
道も広くなっています。


東黒門跡」。
山崎宿の東端にあたる東黒門の跡。
門に接していた高槻屋という宿は、
大名も宿泊した立派な宿でしたが、
本陣には指定されていなかったようです。
大きな石碑は高瀬川清兵衛のもので、
江戸時代後期に活躍した力士でした。
高槻屋の出身であったとされ、
引退後は相撲興行主として活躍し、
各神社で勧進相撲等と行い、
相撲興行に尽力した事を顕彰し、
明治時代前期に建てられたとのこと。

山崎宿近くの天王山には、
真木和泉十七烈士の墓がありますが、
今回は時間と足の具合を考えて断念。
山崎へはまた来る事になるでしょう。

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