京都府京都市 樫原宿跡

樫原宿山陰街道の最初の宿場町。
物集女街道の結節点でもあり、
京都に入る直前の宿場町として、
商いを中心に大いに繁栄し、
京町家の意匠を持つ家々が立ち並び、
美しい町並みを創っていたという。


西京区樫原周辺。緑の線が山陰街道で、
青い線が物集女街道
青でぼかした辺りが樫原宿跡。


勤王家殉難之地」。
樫原交差点を少し西に入った場所にある碑。
元治元年の禁門の変長州藩は敗北し、
三名の兵がここまで逃れますが、
札の辻を警備していた小浜藩兵に囲まれて、
三名共に討たれてしまいました。
その場所がここのようで、
樫原交差点がその辻だったようです。


郷倉」。
樫原宿は京に近い為に物資集積地となり、
年貢米を貯蔵する郷倉が多く建てられますが、
現在はこの一棟だけが現存しています。


樫原宿跡」。
多くの町家が現存する街道筋。
どの家々も綺麗に整備されており、
往時の雰囲気を残しています。
近くに京都市街がありますので、
それ程珍しいものではないのかもですが、
別の場所ならば充分な観光地になるでしょう。


本陣玉村家」。
現存する本陣玉村家の住宅。
洛外の本陣遺構として貴重な文化財で、
上段の間も残っているようです。


無量院」。
脇本陣を務めた浄土宗の寺院。
伏見宮家華頂宮の十七回忌の際、
御尊牌がこの寺に安置されましたが、
十六八重表菊花紋付の提灯を許可され、
この提灯が架かっている時は、
大名が駕籠から降りて頭を下げたという。

宿場を越えて西へ向かうと、
上記した殺された三名の墓があります。

新池と呼ばれる溜池の北側に、
古い墓地跡がありますが、
建てられている説明板は札の辻のもので、
ここが札の辻と勘違いしてしまいますが、
札の辻は上記の樫原交差点です。


長州 楳本僊之助之墓(左)」、
薩州 相良新八郎之墓(中央)」、
薩州 相良頼光之墓(右)」。
殺された三名の墓。
楳本僊之助集義隊の旗手を務めた隊士で、
相良新八郎相良頼光の二人は兄弟。
相良兄弟は薩摩藩を脱藩して宇都宮藩に属し、
後に長州藩に走り禁門の変に参加したという。
殺される際に元薩摩藩と名乗った為、
墓碑に薩州と刻まれた模様です。

■山陰街道の宿場町

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