疋田宿は塩津海道と西近江路の追分の宿場。
街道筋に舟川(敦賀運河)が引かれ、
古い家屋が並ぶ街並みが残っています。
敦賀市疋田周辺。緑の線が西近江路で、
青い線が塩津海道。
街道が交わる赤丸辺りが宿場のあった場所。
「疋田宿跡」。
街道の中央に流れる疋田舟川。
往時は今の倍程の川幅であったという。
琵琶湖の水を敦賀へ流す計画は、
平清盛、大谷吉継、川村端軒、
田中四郎左衛門等が計画しますが、
どれも頓挫していたよう。
後に外国船が出没するようなると、
京都の糧道確保の為に再び計画され、
小浜藩家老三浦勘解由左衛門が、
普請奉行となり舟川工事を進め、
約4ヶ月で完成したようです。
この舟川が物資の輸送に使われますが、
流れが速すぎて水位が上がらず、
川底に胴木を敷設して舟を滑らせ、
人夫が綱で引いて動かしていたという。
この舟川は天保5年に廃止され、
埋められてしまいますが、
安政4年に掘り起こされて、
物資の輸送が再開されたようです。
■北陸街道の宿場町
■西近江路の宿場町
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塩津海道と西近江路の追分にある宿場。