敦賀は古くから大陸と交流があった港町で、
京都への物資集積拠点として栄えた他、
越前一宮の氣比神宮の門前町として賑わい、
東に木ノ芽道、西に丹後道、
南に塩津海道、そして海路の敦賀湊と、… 続きを読む
福井県敦賀市 敦賀宿跡
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敦賀は古くから大陸と交流があった港町で、
京都への物資集積拠点として栄えた他、
越前一宮の氣比神宮の門前町として賑わい、
東に木ノ芽道、西に丹後道、
南に塩津海道、そして海路の敦賀湊と、… 続きを読む
氣比神宮は越前国一宮。
神功皇后が三韓征伐出兵の際、
気比神から海神を祀るよう神託があり、
穴門(下関)に向かう途中に、
海神から干と満の珠を得たという。
※後にこれが干珠、… 続きを読む
道口は古くは三ノ口と呼ばれ、
古来よりの交通の要所でした。
南側の塩津海道から入ると、
若狭道、敦賀道、木ノ芽道に分岐します。
敦賀市道口周辺。緑の線が塩津海道で、
青い線が若狭道、紫の線が木ノ芽道。
青でぼかした辺りが宿場のあった場所。
「道口宿跡」。… 続きを読む
疋田宿は塩津海道と西近江路の追分の宿場。
街道筋に舟川(敦賀運河)が引かれ、
古い家屋が並ぶ街並みが残っています。
敦賀市疋田周辺。緑の線が西近江路で、
青い線が塩津海道。
街道が交わる赤丸辺りが宿場のあった場所。
「疋田宿跡」。
街道の中央に流れる疋田舟川。
往時は今の倍程の川幅であったという。… 続きを読む
古来より北陸の物産は敦賀に集められた後、
琵琶湖の北にある塩津に運ばれて、
そこから丸子船で大津に運搬され、
京都に持ち込まれたという。
塩津の名は塩が運び込まれる港の意で、
重要な塩が運ばれたのは勿論、
その他の物産の多くが運び込まれ、
江戸時代… 続きを読む