氣比神宮は越前国一宮。
神功皇后が三韓征伐出兵の際、
気比神から海神を祀るよう神託があり、
穴門(下関)に向かう途中に、
海神から干と満の珠を得たという。
※後にこれが干珠、満珠の島となります。
神功皇后はこれに感謝して気比神を祀らせ、
それが氣比神宮の創建となりました。
中世期以降は越前国の一宮に指定され、
北陸道総鎮守とも称されて隆盛。
戦国時代に社家が朝倉家に従った為、
織田信長によって社殿の殆どを焼失し、
広大な寺領も全て没収されますが、
後に結城秀康によって再興されています。
「大鳥居」。
奈良の春日大社、広島の厳島神社と共に、
日本三大大鳥居と称されており、
旧国宝に指定されて、
現在は国指定重文となっています。
正保2年(1645)造の木造朱塗の両部鳥居で、
扁額は有栖川宮威仁親王。
敦賀空襲の被害を免れてた貴重なものです。
境内には松尾芭蕉の歌碑が多くあります。
芭蕉は奥の細道道中で敦賀を訪れ、
その日の夜に氣比神宮に参拝し、
月明りに照らされた神前の風景に感動し、
「月清し遊行のもてる砂の上」
と詠んだとされています。
「拝殿」。
氣比神宮の社殿の殆どは敦賀空襲で焼失し、
現在の社殿は戦後に再建されたもの。
消失前の本殿は旧国宝の指定されたもので、
結城秀康が再建したものでした。
主祭神は伊奢沙別命で氣比神宮特有の神。
伊奢沙別命は食物の司る神のようで、
海産物や年貢米等の集積地である敦賀で、
人々に崇められていたようです。
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長門国一宮。
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日本三大大鳥居。安芸国一宮。