東京都台東区 正定寺/島田虎之助墓所

正定寺は台東区松が谷にある浄土宗の寺院。
慶長18年(1613)に神田に創建され、
下谷を経て正徳4年(1714)現在地に移転。
元々ここには三十三間堂がありましたが、
元禄11年(1698)の勅額火事で焼失し、
富岡八幡宮の東側に再建されていた為、
当時は空き地となっていたようです。


正定寺」。
マンションと間違えるような本堂
これも東京の寺院の在り方のひとつです。

この墓地に剣豪島田虎之助の墓があります。

島田虎之助 島田鷲朗 墓」。
島田虎之助は中津藩藩士島田親房の子で、
剣術師範堀十郎左衛門外也一刀流を学び、
15歳頃になると剣で敵う者がいなくなり、
九州一円に武者修行に出ています。
後に更なる上達を求めて江戸を向いますが、
道中の下関安岡で寄宿先の娘と恋仲になり、
安岡に道場を開いて一時定住。
その際に娘のも生まれており、
江戸に着いたのは出発から7年後でした。
男谷精一郎の弟子となって師範代を務め、
後に独立して道場を開設。
忍藩出入り剣術師範も勤めており、
下関の娘は忍藩の藩士に嫁いでいます。
島田虎之助といえば幕末の三剣士と称され、
心正しからざれば、剣又正しからず
という言葉で知られていますが、
剣の技量だけではなく学問や参禅も推奨し、
心胆を練ることが大切と説きました。
勝海舟も彼の弟子であったようで、
彼に大きな影響を受けたと語っています。
しかし僅か39歳で病死してしまい、
この正定寺に葬られました。
同葬されている島田鷲朗は虎之助の兄で、
島田道場で師範代を務めた人物。
館山藩の剣術指南も務めています。

鏝絵職人伊豆の長八の墓もあります

光照院仰譽天祐乾道禪士(中奥)」。
幕末から明治期の鏝絵職人入江長八の墓。
絵画や彫刻技法を漆喰細工に応用し、
鏝絵を芸術品に昇華させた人物で、
江戸で多くの傑作を生み出しており、
名工[伊豆の長八]として名を馳せました。

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