東京都台東区 萬隆寺/最上家墓所

萬隆寺は山形藩3代最上義俊の菩提寺。
義俊は最上騒動での家臣との対立によって、
山形藩57万石から大森藩1万石に減封。
後に急死した為に幼少の嫡男最上義智が、
5000石減封のうえで家督を相続しました。


舊山形城主最上家之墓」。
六郷家の墓の隣にある最上家の累代墓。
最上家は足利氏支流斯波氏の分家で、
羽州探題を世襲できる家柄でした。
戦国時代の当主11代最上義光は、
山形城を本拠として南出羽で勢力を拡大。
伊達家等の諸勢力と争って版図を広げ、
慶長出羽合戦では上杉家と戦い、
徳川家康により大幅に加増を受けて、
57万石の大大名になっています。
しかし義光の死後は後継争いが起こり、
最上騒動が発生して藩政は乱れ、
これを問題視した幕府は最上家を改易
新たに義光の孫最上義俊に対し、
大森藩1万石を与えました。
しかしその義俊は27歳で病死してしまい、
家督を継いだ嫡男最上義智が幼少だった為、
半知の5000石に厳封されています。
以降、交代寄合として最上家は存続し、
幕末の当主最上義連大番頭等を務め、
禁門の変にも出動していますが、
新政府が樹立すると早々に帰順。
戊辰戦争には資金糧食を提供しており、
その功で本領を安堵されています。

■関連記事■
岡山県岡山市 東山墓地/池田長發墓所
 旗本井原池田家の墓所。
滋賀県高島市 興聖寺/朽木家墓所
 交代寄合朽木家の墓所。
東京都豊島区 本妙寺/遠山金四郎家墓所
 旗本遠山金四郎家の墓。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です