興聖寺は朽木岩瀬にある曹洞宗寺院。
曹洞宗開祖道元が越前に下向した際、
立ち寄った朽木の地形が、
宇治の興聖寺に似ていた事に驚き、
寺を建立して興聖寺と名付けたという。
「本堂」。
建立時期は不明ですが古くはないようです。
本尊の釈迦如来像坐像は国指定重要文化財。
「旧秀隣寺庭園」。
享禄元年(1528)に12代将軍足利義晴は、
細川晴元や三好元長らの勢力に追われ、
朽木領主朽木稙綱を頼って朽木に滞在。
朽木にて亡命政府を運営しています。
現在の興聖寺の場所は義晴の舘跡で、
管領細川高国が亡命の義晴を慰める為、
この庭園を造って贈ったとのこと。
その後の慶長11年(1606)に、
当時の領主朽木宣綱が奥方を弔う為、
義晴の館跡に秀隣寺を建立。
後に秀隣寺は廃れていますが、
興聖寺がその跡地に入りました。
「朽木家墓所」。
本堂裏にある朽木家の墓所。
20代朽木道綱以降の当主の墓とされますが、
墓碑銘は法名のみで個人は特定出来ません。
たぶん20代道綱、21代朽木綱泰、
22代朽木大綱、23代朽木之綱及び、
明治期以降の当主の墓がある筈です。
幕末の当主だった之綱は、
慶応4年2月に朝廷に帰順許可の請願書を提出。
同年5月に帰順が認められており、
朝廷より中大夫の席を与えられますが、
後にこれが廃止されて士族に編入されます。
これを不服とし[諸侯並]扱いを嘆願し、
更に諸侯列昇格も請願していますが、
結局認められる事はありませんでした。
ちなみに道綱より前の当主の墓は、
旧興聖寺の跡地にあるとのこと。
■関連記事■
・滋賀県高島市 朽木陣屋跡
交代寄合朽木宗家の陣屋跡。
・滋賀県高島市 朽木宿跡
朽木陣屋城下にある鯖街道の宿場町。
・京都府福知山市 福知山城
同族の大名福知山藩朽木家の居城跡。