旗本井原池田家は池田長信を祖とし、
備中国井原周辺1200石を領した家系。
10代当主池田長發は非常に優秀な人物で、
第二回遣欧使節の正使に抜擢され、
フランス政府とパリ約定を締結しました。
「井原池田家墓所」。
井原池田家の墓所は東山墓地。
9代以前は整理されて累代墓となっており、
10代長發、11代池田長春、12代池田長世と、
その夫人の墓が建てられています。
「池田長發之墓(左)」、
「池田長發室蜂谷氏之墓(右)」。
旗本7000石池田帯刀家8代池田長休の四男。
井原池田家9代池田長溥の養子となり、
幼少期より非常に優秀だったとされ、
次々と出世して外国奉行に抜擢されました。
文久3年12月に遣欧使節団を率いて渡欧。
上海、インドを経てエジプトに立ち寄り、
ピラミッドやスフィンクスを見学し、
フランスのマルセイユに到着しました。
パリではナポレオン3世に謁見し、
横浜の鎖港に関する交渉を行いますが、
フランス側はこれを受け入れることはなく、
長州藩の攘夷砲撃の賠償や、
関門海峡のフランス船の自由航行の保証、
関税率の低減を求めており、
欧米の強大さを痛感した長發はこれに調印。
元治元年7月に帰国していますが、
幕府は長發の交わしたパリ約定を破棄し、
600石の減封と蟄居を命じました。
慶応3年には軍艦奉行並を命じられますが、
体調不良を理由に辞任。
明治12年に死去しています。
「池田長世墓(左)」、
「池田長春之墓(中央)」、
「池田長世室池田氏墓(右)」。
12代当主池田長世の墓、
11代当主池田長春の墓、
長世夫人池田氏の墓。
長發の養子及び孫夫婦らのもの。
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