岡山県岡山市 曹源寺/正覚谷池田家墓所

曹源寺には一度訪れてはいますが、
その際には池田家墓所には行けず断念。
色々と調べると庭園から墓所に行けるらしく、
今回再度訪問する事としました。


曹源寺」。
岡山藩池田宗家の菩提寺。
岡山藩2代藩主池田綱政によって、
高祖父池田恒興及び、
池田光政の菩提を弔う為に創建されました。


庭園」。
表書院の東にある林泉回遊式庭園
庭園側がら墓所に入れます。


池田家墓所」。
曹源寺は開山と同時に綱政の菩提寺となり、
後に綱政の墓所が築かれて以後、
2~7、10代藩主の墓所となっています。
※初、8、9代の墓所は和意谷池田家墓所


故備陽圀主従四位下行左近衛権少将
 源朝臣綱政曹源寺殿殿湛然徳峯墓
(右)」。
眞證院殿願譽心行西岳大姉(左)」。
岡山藩2代藩主(宗家4代)池田綱政の墓と、
綱政の正室千姫の墓。
初代藩主池田光政の長男として生まれ、
父の隠居に伴って家督を相続していますが、
存命中は光政が実権を握り続けたようで、
自ら藩政を担ったのは光政の死後という。
既に岡山藩は財政難となっており、
実権を得ると財政再建に着手し、
収入増で財政を安定化させています。
曹源寺の創建、後楽園の造営の他、
多くの寺社を造営。
色を好んだ人物だったようで、
多くの側室を囲って子沢山だったという。


備前國主保國院殿羽林次将源朝臣
 繼政鐡叟空山大禪門
」。
岡山藩3代藩主(宗家5代)池田継政の墓。
2代綱政の十七男として生まれ、
天城池田家の家督を相続しました。
兄の多くが早世した為に実家に戻され、
父の死去に伴い家督を相続。
善政を敷いた名君であったとされ、
周辺諸国で一揆が多発しても、
岡山藩では善政の為に平穏であったという。
伊達吉村の次女和姫を正室としますが、
後に伊達家に相談なく離縁。
この為に仙台藩伊達家と絶交状態が続き、
その和解は継政の死後でした。
38年の治世の後に隠居しており、
その後は24年も生きています。


備前國主壽國院殿前拾遺源宗政朝臣
 豊山延祥大居士
(中央)」、
寶源院殿貞山元祥大姉(左)」。
岡山藩4代藩主(宗家6代)池田宗政の墓と、
宗政の正室藤姫の墓。
3代継政の長男として生まれ、
幼少期より聡明さで知られていたという。
父の隠居に伴い家督を相続しますが、
僅か12年の治世で病死しています。


備前國主顕國院殿羽林次将源朝臣
 治政大徹一心大居士大居士
(中央)」、
鳳臺院殿月〇慧鏡大姉(左)」。
岡山藩5代藩主(宗家7代)池田治政の墓と、
宗政の正室米姫の墓。
4代宗政の嫡男として生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しました。
寛政の改革幕府より倹約令が出された際も、
これに従わなかったとされており、
豪勢な大名行列を編成して参勤したという。
また寝所に盗賊が忍び込んだ際には、
誰も呼ばずに自らこれを撃退したとされ、
非常に剛毅な性格であったようですが、
島津重豪徳川治済等の隠居衆と交友し、
絵画俳諧も嗜む繊細さもあったようです。


備前國主觀國院殿羽林次将源朝臣
 齊政西嶽宗周大居士
(右)」、
麗光院殿操譽松嶽貞心大姉(左)」。
岡山藩6代藩主(宗家8代)池田斉政の墓と、
斉政の正室絲姫の墓。
5代治政の嫡男として生まれ、
父の隠居に伴い家督を相続しました。
先代と違い倹約財政を行っており、
文化振興や人材育成等も行っています。
35年の治世の後に隠居し、
その4年後に死去しました。


備前國主雄國院殿羽林次将源朝臣
 齊敏威山常光大居士
」。
岡山藩7代藩主(宗家9代)池田斉敏の墓。
薩摩藩10代島津斉興の次男に生まれ、
6代斉政の養嗣子に迎えられました。
養父の隠居に伴い家督を相続しますが、
13年の治世で死去しています。

8代藩主池田慶政、9代藩主池田茂政の墓は、
和意谷池田家墓所にあります。


麝香間祗候従一位勲一等伯爵
 池田章政之墓
(右)」、
伯爵池田章政夫人鑑子之墓(左)」。
岡山藩10代藩主(宗家12代)池田章政の墓と、
章政の正室鑑子の墓。
人吉藩13代相良頼之の次男に生まれ、
鴨方藩8代池田政善の末期養子となり、
鴨方藩9代藩主となります。
幕末期は尊攘派として知られており、
岡山藩9代池田茂政が徳川慶喜の実弟で、
兄の追討は忍びないと隠居した為、
急遽宗家の家督を継いで岡山藩主に就任。
戊辰戦争では新政府軍として藩兵を派遣し、
維新後は議定刑法官知事等を務め、
版籍奉還知藩事となりました。
廃藩置県後は東京に移住。
明治17年に侯爵となっており、
明治36年には従一位となっていますが、
同年に死去しています。


正三位勲四等伯爵池田詮政墓(右)」、
正三位勲四等伯爵
 池田詮政室安喜子墓
(左)」。
池田宗家13代当主池田詮政の墓と、
詮政の正室安喜子の墓。
詮政は10代章政の三男として生まれ、
父が宗家を相続した際に宗家に移り、
その継嗣となりました。
明治15年にフランスに留学しており、
明治36年に父の死去に伴い家督を相続。
明治42年に死去しています。

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 岡山藩池田家の居城跡。

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