本妙寺にある遠山金四郎家の墓所。
最近は遠山の金さんを知らない人も、
増えたのではないでしょうか?
TVで時代劇をやらなくなっていますし、
仕方ないとは思いますが、
あまり良い方向ではありませんね。
※遠山の金さんは町奉行遠山左衛門尉が、
遊び人の金さんとして町に出没し、
自ら潜入捜査で事件の黒幕を突き止め、
最後に御白州で正体を明かし、
悪い奴らを裁くというお話です。
金さんは桜吹雪の刺青をしており、
悪人を一網打尽にする際はこれを見せ、
御白州の場で悪あがきする悪人達に、
悪事の証拠として桜吹雪を見せると、
悪人らは驚愕して罪を認める。
毎度同じようではありますが、
非常に痛快なお話となっています。
この遠山の金さんは実在する人物で、
実際に江戸北町奉行でした。
「歸雲院殿従五位下前金吾校尉
松僊日亨大居士
偕壽院殿奐〇妙慧日照大姉(左)」、
「遠山氏先塋之碑(右)」。
遠山金四郎家6代遠山景元夫妻の墓と、
景元が建立した祖先の墓碑。
景元の父遠山景晋は養子であった為、
養父の実子遠山景善を養嫡子とし、
景元はその景善の養子となりました。
この複雑な家庭環境が原因か不明ですが、
家を出て町家で放蕩生活を送っており、
その際の若気の至りで刺青を入れたという。
後に実家に戻ると堀田主膳の娘けいと結婚。
養父景善が死去した為に改めて継嗣となり、
父の隠居で家督を相続し、
西丸小納戸頭取、小普請奉行、
作事奉行、公事方勘定奉行と歴任し、
天保11年(1840)には北町奉行となります。
当時は天保の改革で奢侈が禁止され、
風俗取締りが行われていましたが、
景元は極端な法の施行に反対し、
老中水野忠邦や目付鳥居耀蔵と対立。
寄席の全面撤廃は芸人の失業や、
庶民の娯楽を無くす事に繋がると、
改革の動きに抵抗をしました。
庶民等はこの動きに感謝しており、
[遠山の金さん]モノが上演されるようになり、
庶民の味方のイメージが定着。
しかし鳥居の策略で景元は大目付に昇進し、
町奉行としての権限は剥奪されます。
その後に水野忠邦は失脚し、
弘化3年に景元は南町奉行に就任。
株仲間の再興、床見世の存続、
寄席の制限も撤廃されました。
景元は嘉永5年に隠居しており、
安政2年に死去しています。
「従五位下前左衛門尉藤原景晋入道
遠山樂土之墓(左)」、
「清雲院殿知天厚〇〇報居士(右)」。
5代当主遠山景晋の墓と、
9代当主遠山景之の墓。
遠山家当主の墓もありますが、
その全ては特定出来ませんでした。
写真左は景元の実父金四郎景晋で、
非常に優秀な人物だったとされており、
長崎奉行、作事奉行、勘定奉行等を務め、
文政年間の能吏として称えられました。
9代景之は文久3年に家督を継ぎますが、
慶応4年に死去したようです。
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