東京都荒川区 南泉寺/遠山景高墓所

南泉寺にある遠山景高の墓所。
景高は明智遠山家の11代当主で、
その初代遠山利景遠山景行の子。
景行は明智光秀の叔父で、
武田家との戦いで自刃していますが、
嫡男遠山景玄、次男遠山友治も討死した為、
家臣団は出家していた景行の末子自休を、
遠山利景として遍俗させました。
利景は徳川家康に従い甲州征伐
小牧長久手の戦い小田原征伐等に参加。
徳川幕府成立後は交代寄合となり、
明治維新までに12代続いています。


龍徳院殿前藝州太守乾介萬雄大居士」。
旗本明知遠山家11代当主遠山景高の墓。
10代当主遠山景珍の子に生まれ、
父の死去に伴い家督を相続しており、
駿府加番中奥小姓番頭を務めた後、
天保14年に浦賀奉行に就任。
その後は弘化4年(1847)に大阪在番に転じ、
大番頭に昇進しました。
慶応2年、死去。
後方の五輪塔等も遠山家のもののようです。

遠山の金さんで知られる名奉行遠山景元は、
この明智遠山家の分家遠山金四郎家

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