長敬寺は台東区西浅草の真宗大谷派の寺院。
三河国須郷に創建されていましたが、
文禄期(1573-1595)に神田へ移転しており、
明暦の大火の後に現在地に再移転しました。
「長敬寺」。
斬新なデザインの外観をしていますが、
この奥に本堂がありますので、
山門という事でしょうか?
これも東京の寺院の在り方とも思えます。
伝統ある建築物が残っていないなら、
ステレオタイプの寺院建築にする必要は、
ないのかもしれませんね。
ここの墓地に三上藩遠藤家の墓があります。
「舊遠藤東子爵家累代之墓」。
三上藩遠藤家は千葉氏一族東氏の庶流で、
八幡城主であった遠藤慶隆は、
織田信長の要請で姉川の戦いに参陣。
以降は織田家の家臣団に加えられます。
本能寺の変後は羽柴秀吉に敵対しますが、
後に人質を差し出して降伏。
小牧長久手の戦い、紀州征伐、小田原征伐、
朝鮮出兵などに従軍しました。
関ヶ原の戦いでは東軍として戦い、
かつての居城八幡城を攻略。
徳川幕府の成立後は郡上藩を立藩し、
大坂の陣にも参戦しています。
後に郡上藩主として5代続いていますが、
5代藩主遠藤常久が7歳で病死してしまい、
郡上藩遠藤家は無嫡断絶。
幕府は藩祖遠藤慶隆の功積を鑑みて、
将軍徳川綱吉側室お伝の方の甥白須数馬を、
遠藤胤親として遠藤家を再興させます。
※遠藤家とは全く血縁関係は無し。
その後は三上藩遠藤家として6代続き、
廃藩置県前に吉見に藩庁を移転し、
吉見藩となっていますが程なく廃藩。
明治11年に東家と改姓しており、
墓碑は舊遠藤東子爵家となっています。
■関連記事■
・滋賀県野洲市 三上陣屋跡
三上藩遠藤家の陣屋跡。
・大阪府泉南郡 吉見陣屋跡
短期間藩庁となった春日神社の境内。
・岐阜県郡上市 郡上八幡城
遠藤家のかつての本拠。